2005年11月11日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十日】二〇〇二年十月三十一日にサンパウロ市で発生した富豪夫婦殺害事件で、実行犯として逮捕され拘留されていたクラヴィーニョス兄弟に対し、サンパウロ市高裁は弁護士団の主張を聞き入れて、仮釈放を命じる判決を下した。
兄弟は九日、三年間収容されていたサンパウロ州イペロー市の刑務所を後にしてサンパウロ市近郊の親戚宅に向かった。被害者夫婦の長女で、殺害を計画した主犯格のスザネ被告はこれに先立つ六月二十九日に釈放されており、犯罪人三人が獄窓を後にしてシャバに舞い戻り、フツーの生活を営むことになった。
スザネ被告の保釈の理由として裁判所は、拘留所期間が切れたことと、証拠が出揃ったことで証拠隠滅の疑いは消え去ったことを挙げたが、兄弟の弁護団は共犯に対しても同様の措置をとってしかるべきと主張してきた。
これに対し、検察はスザネ被告の保釈時点で異議を唱え、三人が犯行を認めた上で凶器などの物的証拠が揃っているのにもかかわらず、いたずらに裁判を遅らせたのは裁判所の落度であり、保釈は不当だと抗議してきた。今回の保釈で「二度も同じ間違いを繰り返すとは信じ難い」として司法見解に疑問を投げかけている。
この事件は実の娘が日ごろの両親の厳しいしつけに反感を抱き、恋愛を禁止されたのが直接の動機となったことで、世間を唖然と、そして震撼させた。スザネ被告は殺害を計画し、恋人だったダニエル被告とその弟のクリスチャンを実行犯として仕立てた。両親が寝静まったのを見届けて兄弟を室内に招き入れた。兄弟は寝室に行き、寝ていた夫婦を鉄棒で滅多打ちにして死に至らしめた、一味は物盗りの犯行に見せかけたが、警察の追及でスザネ被告が犯行を自供して全貌が明らかとなった。
事件は世間を揺るがしたばかりでなく、刑務所内でも物議をかもした、刑務所内には犯罪者らの掟があり、この事件は忌み嫌われている。このためスザネ被告が収監された二カ所の女子刑務所で同被告を殺害するための暴動が発生した。
これにより同被告は所内で保護観察となっていた。しかし、兄弟が収監されていた刑務所では州都第一コマンド(PCC)の犯罪組織が服役者の大半を占めていたが、兄弟はうまく取り入ってトラブルはなかったという。
検察は、三人の刑は十二年から三十年となるが、これから通常の審議が行われても結審は十年かかるとみている。さらに公判日に被告が何らかの正当な理由で姿を見せないときは延長される、法律では欠席裁判は禁止されているからだ。このため審議は長期に及ぶことになるが、この期間、三人の「殺人犯」はフツーの生活を送ることになる。