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15年ぶりに=日本語授業=バイーア州=ウナ移住地=停滞の日本人会に明るい兆し=隣接の市にも出張、好評

2005年11月12日(土)

 バイーア州南部に位置するウナ移住地。日本への出稼ぎなどの影響で過疎化が進み、活動が停滞していた日本人会で日本語教室が十五年ぶりに再開された。「日本人の心を一つにしてもう一度盛り上げたい」――。同会会長の移住地活性化にかける思いは強い。隣のイリェウス市にも日本語・日本文化講座の話を持ちかけ、九日には同市文化施設で初めての授業が行われた。こうした取り組みによって、元気を失っていた小さな移住地がいま活気を取り戻そうとしている。
 州都サルヴァドールから五百二十キロ。海岸沿いのウナ市(人口三万)に移住地が開設されたのは一九五三年、戦後最初の日本人移住地の一つだ。
 だが、土地の悪さや配耕の不備から同年に十五家族が脱耕するという事件もあった。現在は約二十家族が農業を中心に生計を立て暮らしている。
 移住地の中心に日本人会の会館がある。かつてはここで日本語教育も行なわれていたが、出稼ぎの影響で十五年前に打ち切りに。しばらくして日本人会も活動を停止し、「最近までは雑草がぼうぼうで近づく人はいなかったんですよ」(移住者の男性)。
 停滞期の移住地の様子を、立石武士会長(64)は「日々の生活に追われ、何か楽しむことをしようという気にはならなかった。地味に生きていければ、それでいいと思っていた。外に目を向ける元気はなかった」と、振り返る。
 形骸化していた日本人会の活動が再開したのは昨年九月。ウナの日本人の心を一つにして盛り上げたいと、立石会長は月に一度定例会を開催。五月からは十五年ぶりに日本語学校の授業も始まった。
 立石さんの夫人で、日本語教師の礼子さん(55)は「孫が帰ってきたときに『ただいま』と言った、と喜んでいるお年寄りの話を聞くと、学校を開いてよかったと思います」
 学校再開の立役者は、今年四月までJICAのシニアボランティアとしてサルヴァドールの日本語教育に携わり、六月に再来伯した小栗誠治さん(56)だ。
 帰国前、「ウナの日本語学校を再開したいからどうか戻ってきて欲しい」と立石会長から頼まれ、承諾した。ただ、「初めてここへ来たときほかのコロニアとは違うと思いました。何かひっそりしていて自信がなさそうだった」。そんな第一印象を裏切って、学校の人気は上々だ。四歳から五十一歳までの三十一人を二クラスに分け教えている。
 ウナの新しい動きは日本人会、日本語学校だけには留まらない。立石会長が、六十キロ離れた観光地イリェウス市(人口二十三万)に働き掛けた結果、日本語・日本文化講座が市の施設で毎週水曜に開かれることになった。
 講師は小栗さん。ウナの日本人会からは十分な給料を払えないと心配した立石さんが、小栗さんが同市でも活動できるよう取り計らった。
 市民、メディアの反応は好意的だ。「イリェウスの人たちは以前からウナの日本人が何か始めないかと期待していたようです」と礼子さん。
 これまでに何度か、地元テレビ局から行事があるときは連絡をして欲しいと言われてきた。ウナの日系人が動くのを待っていた。
 講座の参加者を募集したところ、八十人近くの応募があった。九日に一回目の講座が行われた。午前九時、昼十二時、午後四時、各一時間半の三回。日本語のほか、折り紙や書道などの文化紹介だ。初めての講座の模様は地元のテレビ局サンタ・クルスTVでも取材され、ニュースで放送された。
 日本人会の月例会への参加も徐々に増えてきた。
 「まだ、みんなの心が一つとまではいきませんが」。どん底を乗り越え、少しずつだが明るい兆しを見せている。