2005年11月17日(木)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十五日、十六日】五月以来久し振りの大型連休となった十二日から十五日までの四日間は好天に恵まれ、パウリスタッ子らは海岸での行楽あるいは買物でエネルギッシュな行動を存分に見せつけた。
良質で安価な品物が揃っていることで全国的に名を馳せているヴィンテ・シンコ・デ・マルソ街は四十日後に控えたクリスマスのための買物で十四日、百万人以上の人出でにぎわい、身動きがとれぬほどだった。行楽に行かずサンパウロ市にとどまった居残り組に加え、近郊や地方からの買物客が殺到した。連休で商店街は閑古鳥が鳴く有様だろうとの思惑は見事に裏切られた。
市内各所は森閑として走行車もまばらだったが、ブラス区は七キロに及ぶ渋滞で混雑した。十八年間営業している店主は、こんな人出は初めてのことと驚天しながらもえびす顔だった。海岸観光地のグアルジャー市から買物に来たという男性は人波にもまれながら「自分たちの土地(海岸)にでかけているものと思って来たが、こんなに人がいるとは当てが外れた」と呆れ顔だった。翌十五日は商店の半数以上が閉店したのに加え営業時間が八時から十四時だったため、前日より人出は少なかった。それでも四十万人が訪れた。
海岸地方の行楽地では折からの炎暑で海水浴場は立錐の余地もない程ごった返した。サンパウロ市交通局によると、百万台の車がサンパウロ市から脱出し、そのうちに約四十万台が海岸に向かった。アンシェッタ・イミグランテス道では十五日の午後一時のピーク時で一時間あたり九五五八台の交通量となった。このため渋滞が続いた。観光スポットのイーリャ・ベーラでは十二日の深夜から十五日の正午までに、サン・セバスチオン市からフェリーを利用した車は一万三三七一台に上り、待ち時間は一時間を超えた。今年のカーニバルでは一万二〇〇〇台で、初めてカーニバルの人出を超えた。このうち九六二六台は十五日正午までに帰路についたが、フェリーの待ち時間は二時間半に及んだ。
十五日に帰聖した大量の車でドライバーはノロノロ運転強いられたが、目立った渋滞は見られなかった。この日も炎天下に見舞われたため、車中の暑さに耐えられず、途中でガソリンスタンドやレストランで数回立ち寄って休憩する家族連れが多かった。道路の警察によると十五日午前七時までに、事故で三十三人が死亡、負傷者が出た車の事故は三百二十六台、無傷の事故は五百十五台だった。