2005年11月30日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十四日】庶民臭を売り物とし、舗道一杯にあふれる露天商と凌ぎを削るブラス区の商店街が、商品のブランド化と高級品店への店舗改装で巻き返しを図る作戦だ。各商店は建築デザイナーやスーパーバイザー、消費心理学の専門家を契約し、店員教育に講師を採用した。
目標は、ブランド化で一歩先を行くボンレチロの商店街やショッピング・センターと互角に渡り合える競争力を養うことだ。同区商店街は大小五十五街路と六千の商店からなる。そのうち四千軒は、年間三五〇億レアルを商う製造販売業である。
一部の商店は他に先がけて店舗を斬新なデザインに改装して空調設備を設置、垢抜けした店員に入れ替えて接客法も一新した。衝動買いの顧客から馴染み客の販売に力を入れる方針だ。顧客のためにショールームを備え、ファッションショーを行う。顧客が一時くつろぐ中庭やレストラン、コーヒーショップもある。
以前はカウンターでマンツーマンの接客であったが、いまはブラスのダズルに変わった。商店は従来の売らんかな商法から、顧客の立場にたった商法に変わった。各商店は顧客を個別に登録し、趣向や個性、生活環境、家族の健康状態、好む話題などを把握し、訪問販売のキッカケ作りに利用する。ファッションは服装に限らず、服飾品全体でアドバイスをする。
仕立て直しは既定時間内に宅配する。同じ商品なら、ショッピングセンターよりも廉価だ。商店主はトレンド(流行)の勉強のため、常に海外へ視察旅行する。店員教育は常に新しさを求めて、投資による風を入れている。電話を受信すると、直ちに顧客のデータがモニターに現れる。
ブラス区の商店主が過去二年間、ボンレチロ区の後塵を拝していることに気付いた。四〇年代までブラス区はたばこ会社や製薬会社、金属加工などの工場地帯だった。工場が次々と郊外へ移転した跡地に呉服店が出店し、ブラス商店街が始まった。七〇年代に居住していた住民五万四千人が、地下鉄工事で二万五千人に半減し、商店街へ変身した。