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醍醐麻沙夫氏の円売り論への疑問=連載(下)=ノンフィクション作家 高橋幸春=戦後の混乱書き切るべき

2005年12月02日(金)

 醍醐氏は半田知雄氏の説に追従したと述べている。前の原稿にも同じことを書いたが、あえて繰り返す。 サンパウロ新聞の醍醐氏原稿には、半田氏が後に同氏に「円売りだけはどこで聞いても噂を知っている人だけだった」と語ったとしている。
 しかし、半田氏は「移民の生活の歴史」のなかで、円売りは陰謀の「一小部分」と書く一方で、日本へ帰国するため土地を安く売り払い、現金を握ると「船会社のニセ切符売りや円売りにひっかかった」とも記している。「有力な日本人がこれに(円売り)関係していたことは、取引きの現場を目撃した人によって語られていた」、さらに円売りをしたのは臣道連盟ではなく「いわゆるレロレロ(勝ったとも負けたとも態度をはっきりさせない)連中であったことは、ここにことわっておきたい」とも述べているのだ。
 円売りの「実態は噂」という説を唱えるのはもちろん自由だが、作家なら自分の責任のもとで主張すべきだ。半田氏が書いてもいないことを勝手に解説し、自分が唱える円売り「噂」説を、半田氏があたかも言っていたかのような印象を与える書き方は卑劣だ。
 円売りは商行為、とさすがにここまで言い切ることはできないと思ったのか「正常とはいえないにしろ」と注釈付きで書かれていた。九割が勝ち組だったと言われる戦後の日系社会、円に熱い思いが寄せられたことは想像がつく。そんなところに日本が勝ったと思える記事が流れれば、砂漠に降った雨のようにそのニュースは移民の心に浸透していく。
 私は円売りの事実を取材しようと生前水本氏に会った。同時に新聞のバックナンバーの提示を求めたのは、サンパウロ新聞の当時の報道も光にさらされるべきだと思ったからだ。醍醐氏の原稿には、新聞の社会的責任についての視点がまったく欠如している。
 金がらみの誹謗中傷を受けて気の毒だと思うが、醍醐氏のこれまでの対応に疑いを抱かれるようなふしはなかったのか。「水本派、アンチ水本派の口論に加わりたくない」という一方で、口論の最たる場の法廷に原告水本氏側の証人として出廷したのはどうしたことか。
 物書きなど書けばなにか言われるのは常のこと。醍醐氏を「中傷」するグループに私も「取材しないで書く」だの「何も知らない記者」と何度も書かれた。日本ではもっと過激で著書に対して「吐き気がする」とも書かれたことだってある。それがいやだったら物書きの世界から離れるしかないと私は考えている。
 円が大量にユダヤ人によって運び込まれたかどうかが、円売りの実態のすべてのようなことを書いているが、戦前にブラジルにあった円はどうなるのか。戦後日本にあったM資金詐欺など、実体などなにもなくても何度も詐欺事件は起きているではないか。
 自分のことを作家などとは面映い。書く場があれば何にでも書いてきた。あえて言うなら雑文家だ。権力者と被抑圧者、強者と弱者、マジョリティーとマイノリティー、私は後者の側から歴史を見つめる雑文家でありたいと思っている。後者の側から見るなかに真実があると信じている。醍醐氏と私の視点はまったく異なるようだ。
 「天皇の船」が出た機会に円売りについて書くなどと安易で姑息な姿勢はいかがなものかと思う。また心ない中傷に「ブラジルの日本語社会」で書くことに興味を失ったのなら、戦後の日系社会や円売りのことを日本で本にまとめるなり、雑誌に発表すれば済む話だ。
 醍醐氏には平野植民地を取材していると「書き残してくれ」という声が聞こえたらしい。今の醍醐氏にこうした無告の民の声が聞こえるのか、はなはだ疑問だが、戦後の混乱を書き切るべきだろう。それをせずに断片的に書いているだけでは、作家の怠慢というもの。移民百年に向けて醍醐史観に則った著作を期待してやまない。
       (終わり)