2005年12月16日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十日】大サンパウロ市圏のジアデーマ市が様変わりしている。十二月八日で市制四十六年を迎えた同市は、危険地帯の名を欲しいままにして二〇〇〇年には殺人で国内トップの不名誉な記録となった。しかし、今年の保健省の調査では一挙に四十位に後退し、汚名返上に官民一体で運動していることが明らかになった。サンパウロ州保安局は防犯のモデルとして賞賛している。
二〇〇〇年の時点で同市では毎日どこかで殺人事件が発生していた。保健省の統計によると十万人に対する殺人は二〇〇〇年で百八・六人だったのが今年は五十三・二人と半減した。いっぽうでサンパウロ州保安局はこの数字を七十六・一人から三十四・六人としている。保健省が死亡場所を対象にしているのに対し、保安局でえは事件発生場所としていることで差が出たが、いずれも半減を示したのに変りがない。
この変貌について関係者は、午後十一時以降の禁酒法によるバールの閉鎖を第一に挙げている。これまでの殺人は飲酒によるケンカやトラブルが大きな原因となっていたことから、禁酒法が好結果を生んだとみている。さらに地域住民が防犯に立ち上がり、事件多発区や危険地区の地図を作成、警察と協力して一掃に務めたのが功を奏した。
このきっかけとなったのが一九九七年に、ファベーラのナヴァルで発生した警官による住民の射殺事件と六人に対する暴力事件で、この模様を撮影した市民のアマチュアカメラマンのビデオが全国放映されたことで、同市の暗黒が一躍有名となり、内外から批判が続出したことによる。
ジアデーマ市は人口三十八万九千五百三人で二〇〇〇年から〇五年にかけて年率一・三三%とわずかながらも増加している。住民によると十年前はジアデーマ市民というだけで犯罪者とみられたため、車のナンバープレートも隣町やサンパウロ市のものを取付けたものだと述懐する。今は隠す必要がなくなったと明るい笑顔で語った。