2005年12月23日(金)
話題になった「フランスにおけるブラジル年」(以下、仏伯年)――。先月リオで開催された第一回の日伯二十一世紀協議会では、これを模範に〇八年の日伯交流年を行うことが申し合わされた。サンパウロ市で十五日、ジルベルト・ジル文化大臣と在伯フランス大使のジーン・デ・グリニアスティ氏が発表した仏伯年の成果を検証しながら、より有意義な日伯交流年を迎えられるよう参考にしてみた。
一月十六日付けブラジル通信によれば、文化省はこの仏伯年を「ブラジルが外国で実施する最大の文化イベントだ」と位置付け、「わが国がサッカーとカーニバルだけでないことをアピールする絶好の機会。現代ブラジルには先端技術やテクノロジーもある」と高らかに喧伝した。
これは二十一世協議会で伯側委員が展開した議論に近い。おそらく同様の方向性が、〇八年に向けて主張されるだろう。
グローボ・オンライン十五日付けによれば、はじまった三月十五日から終了した今月十五日までに、仏国内の百六十一都市で、計四百三十六ものイベントが行われた。「ブラジル、ブラジース」(ブラジースとはブラジルの複数形で、ブラジルの多様性を示す比喩)をテーマに絵画、写真、映画、建築、ダンス、演劇、文学講演など多岐にわたる企画が実施された。
ブラジル側のアンドレ・ミダニ委員長は、シリア生まれで三歳までフランスで育ったが五五年に渡伯、帰化した有名な文化人だ。
仏伯年行事は首都パリだけでなく、地方都市でも盛んに行われたのが大きな特徴だ。県連が〇八年に企画している日本国内約十県における「ブラジル展」などは、現在のところ、地方都市向けに企画されている唯一のものだ。
この仏伯年の企画は二年前、〇三年七月にパリで行われた第三回伯仏総合委員会での決議に基づいている。伯側組織は、〇四年二月に出された大統領令4976号でブラジル側委員会を作ることが制定された。文化省や外務省代表が同委員会メンバーとなるよう定められている。
日伯交流年は昨年九月の小泉首相来伯時に提案されており、四年前のスタートだ。より慎重な出だしをし、日伯二十一世紀協議会も第一回会合をもった。
仏人口約六千万人中の四人に一人、千五百万人が同仏伯年行事に参加した。この九カ月間、一日平均一・五回のイベント、計四百三十六行事をこなすために、ブラジル側から六千百万レアル(約三十億円)が拠出された。うち四千百万レアル(約二十億円)が連邦政府から、のこり二千万レアルが文化への投資を税金から控除する制度により民間企業から集めた。
これに関して、十一月二十二日付けフォーリャ紙は、ブラジル側の負担に関して「この経費は両国で分担するべきだった」と論評した。伯側に全面的に経費負担させる力技は仏ならではの外交力だ。日伯交流年に関しては、「予算を分かち合う形で準備を進める方向性が出された」と同二十一世協議会参加メンバー、横田パウロ氏が語っている。
伯側の主要協賛社はブラジル銀行、ノルデステ銀行、連邦貯蓄金庫(CEF)、郵便局、ペトロブラス、BNDES、ポン・デ・アスーカルなど十六社、ブラジル政府系の主要機関が参加した。
同記事のジル大臣の発言によれば、日本移民百周年と同じ〇八年に「ブラジルにおけるフランス年」を実施することを検討中だという。もし、本当なら日伯交流年への投資や関心は確実にそがれるだろう。来年度からの文化大臣が誰か不明だが、この路線で進まないことを念じざるをえない。
(つづく)