2005年12月24日(土)
ブラジルとの国境から四十一キロ地点にあるイグアスー(Yguazu)移住地で、十八日、日本語学校(堤和子校長・青森県出身・東京農大卒)の卒業式が行われ、小学生十一名、中学生十五名、高校生五名が卒業した。
同地に移住が始まったのは一九六一年八月。その二年後の六三年九月に日本語学校が開校した。当時の子供たちが今では移住地の中堅として活躍している。
開拓に挑む祖父母や両親の後ろ姿を見て育ってきた今の子供たちは三世だ。その子供たちが複合文化を理解し、日語と西語のバイリンガル能力を備えた後継者として巣立とうとしているのだ。開校以来の小中学卒業生はそれぞれ、六百七十五名、四百七十一名を数える。
卒業式前の在校生は百五十二名、教師は十名。二世の深見美奈さんは母校卒業生だ。光田敏弘さんと白石素子さんは日本から派遣されてきている。
同校では、時代の推移とともに地元子弟の中に日本語を学ぶ希望者が増えてきたため、二〇〇〇年九月に”ラパーチョ・コース”(本紙・〇二年八月二十二日報道)が新設された。このコースから日本人会、農協、診療所、など日本語能力が求められる職場で活躍する人材が育っている。彼等は二つの民族の重要な”つなぎ役”でもある。日本語学校のもう一つの貴重な役割がここにも存在する。
〇四年五月には”高等学校レベル”授業が日本語学校に併合(本紙・〇四年五月七日報道)された。日系子弟を対象に、日本への大学留学や研修に対応できるよう、日本語一級レベルを目指し、文書能力を高めることも視野に入れた三年間コースだ(堤和子校長談)。
今年は併合して二度目の高校生卒業ともなり、小・中・高一貫教育が移住地で定着していることを確認する意義深い行事となった。堤校長は「皆さんは開拓者の血を受け継ぐイグアスーの子です。礼儀とがんばりの心を持って羽ばたけ」と式辞の中で卒業生に訓示した。
日本人会の栄田祐司会長(福岡県)は「日本語学校は移住地のシンボルだ。日本語一級、二級の取得に向かって頑張れ」と激励した。
一方で、日系子弟の数が減りつつある悩みを抱える昨今だ。反面、地元の子弟たちの日本語熱が強まっている、という。日本語学校は日系子弟のみを対象とすべきか(質)、輪を拡げるべきか(数)、二者択一を迫られているようだ。
来賓の一人、JICAパラグァイ総合農業試験場(CETAPAR)の白石英一場長は「人生の計は少年にあり、という格言がある。少年少女時代の勉強と努力が人生を決める」という言葉を卒業生たちに贈った。
農協を代表した井上幸雄副組合長(奈良県)は「子供の時は、また勉強かぁ、といやになるもの」と自分の子供時代を振り返りながら「それでも頑張って勉強すると、大人になってから、『我がまち・イグアスー』という、ふるさと意識が強くなる」と学ぶ大切さの心を贈った。
「今日やるべきことを明日に残してはいけません。責任は全うしなければなりません」と保護者代表の竹内洋子さん(富山県)は人間の生き方を諭した。
式の最後に、中学卒業生全員が会場の前に一列に並んで、在校生、来賓、父兄、教師に向かい「九年間の思い出」をリレー形式で語った。