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この人に聞く=デカセギ子女の教育問題=在日ブラジル人青少年問題で博士号をえた=中川郷子さん

1月1日(日)

 「考えれば考えるほど、難しい問題です。どうしたらいいのか、正直言って私にもわからない点があります」と考え込む。サンパウロ市在住の心理学者、中川郷子さん(48、東京都出身)「在日ブラジル人青少年」をテーマに論文を書き、さきごろ最終審査に合格、サンパウロ・カトリック大学(PUC)の社会福祉課程で博士号をえた。いわゆるデカセギ子弟の教育問題だ。

■母語はポ、日どちら■
 中川さんは母語の重要性をつねづね訴えてきた。十歳ぐらいまでに母語で読み書きがしっかりできるようにし、一つの言語で論理的な思考を訓練しないと、その後の人生に大きな影を落とすという。日常生活では問題ない程度は言葉ができても、それが大学以上のアカデミックなレベルなどで通用するかどうかは別の次元の話。十代後半になってからその能力を鍛えようとしても不可能だという。
 デカセギ子弟にとっての母語はポ語だ。でも、日本のブラジル人学校の教育実態は、十歳までにそのような能力を育めるものではないという。現実には、いろんな学年の生徒が一つの教室にいる複式授業で、効率的な教育効果を望むことは難しい。さらに親の都合で、数カ月ぐらいは平気で学校休んだりする生徒も多く、突然引越ししたり、帰伯する生徒までいる。
 にも関わらず、一般的に月謝は四万円以上し、全国あわせても七十校程度で、通える地域は限定されている。「ここを卒業しても、日本では資格が認可されません。学校へ行かなかったのと同じ」と問題提起する。さらに「ブラジル人学校での日本語教育は週に一回ていどで、三~四年も通っているのにカタカナ、ひらがなレベルの子がたくさんいる」という。
 つまり、ブラジル人学校を卒業してもその資格は日本で通用しないし、日本語も使えない。卒業後に帰伯するならまだしも、日本で生活しつづけるなら、あまり意味のない教育課程になっているという。
 このように日本国内でポ語でしっかりした母語教育するには、設備や制度が整っていないのが現状だ。あくまでもポ語での母語教育を重要視するなら、十歳ぐらいまでブラジルでしっかりと教育して、そのあとでデカセギに連れて行くのが現実的のようだ。
 日本国内で母語教育するのを前提にするなら、費用対効果を考えれば日本語にするのが現実的のよう。まず日本語で十歳ぐらいまできっちり教育して能力を開発し、そのあとポ語をとなる。ただ、そうなるとポ語は母語ではなくなる問題が起きる。
「日本社会に溶け込むには、日本の学校に通うほかない」としながらも、「日本の教育は日本に色に染める。母語であるポルトガル語を大切にしなくなる。ポ語を使うと恥ずかしい、という気持ちが生まれる」という問題もはらむ。

■いじめや差別の横行■
 中川さんによれば、学校でのイジメが日系子弟に与える影響も看過できないようだ。〇三年末に行われた三カ月にわたる訪日調査では、愛知県刈谷市、保見団地や静岡県浜松市を中心に百三十五人のブラジル人青少年にインタビューした。
 うち五八%は日本の公立校に通おうとしたことがあったが、調査時点まで通い続けていたのはわずか一〇%のみだった。通っていたが辞めたという青少年のうち、最多理由だったのは「いじめ」だった。
 「子どもは敏感だから、自分がエレベータにのっているとき、後から乗ってきた人が自分をサッと避けたとか、自分がとなりに座ったらそこにいた人が立って行ってしまったとか、そういうことでも差別されたと感じて、傷つくことがあります。言葉が通じないと余計そのようです」。
 「親の中には積極的に日本語を学ばせようとして公立学校へ行かせているのではなく、時間と値段を考えると、長い時間安く子どもを預かってもらえるからと通わせている人もいます」と親の意識の低さをなげく。
 だから、中学校までは義務教育なので費用が安い。高校では授業料がかかるので、教育に理解のある親以外は行かせたがらない傾向が強い。
 公立学校には、外国人子弟だけあつめて教える「国際教室」、入学前の三カ月間に集中して日本語を教える「言葉の教室」の二種類の支援制度がある。「この授業にすらついていけない子どもも多いんです。それに親の仕事が変わると転校、転校でしょ」。
 「子どもが学校で虐められたと聞くと、辞めさせる親がいます。自分たちの都合で日本へ連れてきたんだから、そのせいでつらい思いをさせるのはかわいそうという発想です。それでブラジル人学校へ入れたりする。帰国するからとか、別にそれがいいからというわけではない」。
 公立学校にしても、ブラジル人学校にしても「両方とも前向きな理由で学校に入れたわけではない」とする。「日本の学校にやるとポルトガル語を忘れるといって辞めさせる親がいます」。
 日本国内で今後も生活を続け、移住二世として生きていく場合、日ポどちらに比重を置いて教育を受けさせるのか。子どもの将来に大きな影響を与える点だけに重要な点だ。
 近年、このような教育を受けなかった青少年の非行、犯罪がとみに日本で問題となっている。移住一世である日系ブラジル人二~三世の親はじっくり考えなくてはいけないだろう。

■失われた世代の拡大■
 ブラジルの日系社会では、一世の親は肉体労働に従事して、子どもに大学にいかせて高学歴を与える社会上昇戦略をとった。その結果、最高峰の大学の一つUSPでも入学生の一〇%以上を日系人が占める。そのため二~三世の弁護士や医師、会社幹部の比率は高い。
 それに比較すると、日本ではまったく逆の現象が起きている。「現状の教育では、同じ社会階層を再生産しているだけ。子ども達は日本で育ったのにも関わらず、ブラジルから来た親と同じ階層になってしまう」。
 憂慮すべき光景を目撃した―――。名古屋市近くの九番団地という日系ブラジル人が多数住んでいる集合住宅を訪れたとき、十六~十七歳の女の子が小さな子を抱えてあやしていたという。
 「小さいときに日本に来て学校にも行かず、そのまま十四歳ぐらいで子どもを産んでしまって母親になってしまったのです。このような新しい在日二世代目が生まれている」。現状のまま進むのなら、日本語でもポ語でもまともな教育を受けてない、このような〃失われた世代〃が広がる危険性がある。
 親が学校に通っていない世代が増えている。「自分が学校を途中で辞めているのに、どうして自分の子どもを行かせようと思いますか」。子どもの語彙が少ないのが気になって、親とも話したが、やはり豊富とはほど遠かった。
 郷子さんは主張する。「外国人にも義務教育を徹底するべきではないでしょうか」。現状では、日本人には中学校までは義務として就学を強制するが、外国人には義務ではない。
 「日本ではよく国際交流イベントがあります。でも、その多くでは外国文化や外国人を珍しいもの扱いするだけ。本当の交流は、お互いに影響を受けあうものだと思う。『外国ではこんな考え方をしますが日本ではそうしません』では本当の交流ではない」。
 もちろん日本在住日本人の大半はブラジルに興味も関心もない。ブラジルを訪れる交流使節団や研究者でさえ、日本語の通じる東洋人街と観光地ぐらいしか回らないところもある。
 もちろん、来るだけでも立派なものではある。しかし、もう一歩進んだ視点からすれば、「こちらへ来ても、文協のビルとか史料館しかみないでブラジルが分かったという顔をされても困る。ブラジルはもっと多様な国。それでは、色々な場所から行っている日本就労者の多様性は理解できない」との論も立つ。
 さらに、中川さんは「日本人と同様に、外国人子弟も中学校までは義務扱いにしてほしい」と強く期待する。現実的には、外国人には強制ではない。「そのためのインフラを整えてほしい」と希望する。
 論文の最後には、ブラジル移民との興味深い比較が考察されている。戦前に生まれた二世は家庭内で日本語で育ち、学校へ行ってからポ語を習ったものが多かった。
 「二~三世がブラジル社会でうまくいっているのは、ブラジル人のいい先生がたくさんいたからだと思う。ここでは戦争中でさえ、全然言葉のできない子を受け入れ、ポ語やブラジル文化を気持ちよく教えた。けっしてジャポネーズはだめだとか差別しなかった。だからこそ、現在のような日系社会がうまれた。そういう先生とのいい出会いがたくさんあった。そのへんが今の日本と違うような気がする」
 中川さん自身が、幼少で日本から親に連れられて移住した準二世だ。小学校教師をしていた母親に、みっちりと日本語で教育された。「自分の経てきた経験は、絶対にいまのデカセギ子弟と似ていると思う」。
 これ以上〃失われた世代〃を広げないよう、民間ボランティアや学者も協力し、日伯両国での統合的な取組みが必要とされている。

【記者雑感】
 在日二世(日系ブラジル三世か四世)の多くは、日本で今後も生活したいと考えていると、多くの学者が指摘している。ならば、日本語を覚えた方が役に立つだろう。ポ語の読み書きを知っていても、日本社会で役に立つ機会は少ない。それは、日本語教育がブラジル一般社会での就職にあまり役に立たないのと同様だ。
 中川さんは、ブラジル人を多く抱えるある日本の市長と母国語の議論をしたときに、「ポルトガル語で母語教育してほしい」と要請したところ、「ポルトガル語の教育なら、あなたたちでやったほしい」といい返されたという。
 実際、ブラジル政府が日本移民を導入したとき、公立学校で日語教育はなかった。あくまでも公用語のポルトガル語が国語だった。今日、二世エリートが多く輩出した背景には、ブラジル人教師が外国人子弟だからと差別せず、好意的に接したとの分析にはなるほどと思った。
 「在日二世」という考え方は、移住者として捉える視点だ。ならば、母国語は移住先の言葉になるだろう。取材を終えて、在日のポ語教育はいずれブラジルにおける日本語教育(外国語としてのそれ)のようになっていくのではないか、との感想を持った。(深)