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ポルト・アレグレ=総領事館最後の日=45年の歴史に幕=昨年末、プラッカはずす=クリチーバの出張事務所として〃存続〃へ

2006年1月5日(木)

 在ポルト・アレグレ日本国総領事館最後の日―。入り口に掛けられた「総領事館」のプラッカが静かにはずされた。四十五年の歴史に幕を閉じ、去年十二月二十八日をもって閉館となった。今年から在クリチーバ日本国総領事館の管轄となり、出張駐在官事務所として領事関係事務(在留邦人保護、旅券、査証、戸籍、国籍など)を中心に業務を行うことになった。
 地元日系団体は、同総領事館の必要性を訴える署名運動を展開するなど、存続に向けた地道な取り組みを続けてきたが、外務省の回答は、閉館だった。引き続き駐在する領事は木村元(はじめ)領事と山科英樹副領事の二人。この日、取材に応じた木村領事は同総領事館での思い出や今後の課題について前向きに語った。
 すでに誰もいない館内を案内しながら「仕方ないですよね。省改革の一環だし」という木村領事。嬉しかったことの一つに故・小林パウロ連邦下院議員が小泉純一郎首相来伯時に閉館にならないよう要請してくれたことだという。「事務所が残ったのも本当、彼のおかげですよ」。
 また、去年の選挙時の在留邦人投票数が日系人少数地域にもかかわらず、ブラジル公館中三位になったことも感激したことの一つにあげる。これは二位ベレンの百四十九人と四人しか変わらない百四十五人を記録した。地方部にも選挙人登録活動をしたという木村領事は「(同市内から)三百キロ離れたサンタ・マリアという地からバスでどーっと投票しにきてくれたのには感動した」と思い出す。「今、ここに総領事館があったら絶対二位だね。二〇〇八年はサンパウロに続くダントツの二位を約束できる」。
 長島浩平前総領事も「非常に残念だが、事務所を確保できたからよかった」と前向きな考え。現在は、在マーシャル大使館に転勤し、臨時代理大使として駐在している。
 同総領事館の管轄だったリオ・グランデ・ド・スル州、サンタカタリーナ州合わせて日本国籍所有者は二千人、日系人は四千人。地元南日伯援護協会(麻生陽会長)が中心になって、廃止計画反対運動をおこし、一般のブラジル人も含めた約九千人の署名を集めていた。ジェルマノ・リゴット州知事や同州ラジオ局などからも署名が集まるなど州全体で存続を呼びかけた。
 閉館にいたるまでの経緯は、川口順子外相(当時)が発表した省改革の一環「行動計画」の「大使館・総領事館の新設・統廃合三ヵ年計画」がきっかけ。去年三月三十日には参議院で「在外公館の名称および位置、ならびに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律」が可決され、正式に閉館が決まった。
 法律改正が可決されるまで積極的に署名運動を行っていた金福南伯援協事務局長は「RS州は日本人移民の歴史が浅いから日本語を話せる人が多い。だから寂しいなあという感じはするけどしょうがない」と話し「今年はRS州ブラジル日本移民五十周年。日系社会が団結してできることをやっていきたい」と抱負を語った。
 五十周年に向けては、州文化局の中に五十周年記念委員会が設立されるなど、州全体の行事として盛り上がっている。八月十九、二十日に同市内ガゾーメトロ文化会館を貸しきり、式典や日本文化の紹介などを盛大に行う予定。木村領事は「当州の人々は親日的。ここに勤務して一年半だけどみんなの日本に対する興味が強くなっている気がする」と実感を語る。
 最後は、総領事館入り口にかかげられた日の丸国旗のもと「これからはこういった行事もあるし、出張駐在館事務所の中で一番大きくなると思うよ」と今年への意気込みを語った。