今年はサントス・ドゥモン(1873―1932)による世界初飛行から百周年だ。リオの裕福な家庭に生まれたドゥモンは、成人後にフランスへ移住。そこで一九〇六年十月二十三日、カンポ・バガテリの丘で、先尾翼の動力機14―bis号を衆人環視のなか約六十メートル飛ばし、ブラジルと欧州で〃飛行機の父〃と呼ばれる。日本では一般的に、米国のライト兄弟の方が有名だが…▼先年の「フランスにおけるブラジル年」でも、両国をつなぐ掛け橋的存在として大きく扱われた。リオ国内線空港の名前としても有名だ。最近では、五千六百七十万ドルの巨費を投じた独エアバス製大統領専用機(別名「Aero Lula」)の正式名称にもなった。その他、伯空軍が民間人にだす最高勲章名にもなり、あの小野田寛郎さんが〇四年に受勲▼ドゥモンのトレードマークは襟の高いハイカラーシャツで、飛行船でとる昼食にシャンパンを欠かさない伊達男といわれた。当時彼は懐中時計を愛用していたが、操縦中は見られない。それを知った友人の宝石職人ルイ・カルティエは、世界初となる革バンド付き「腕時計」を開発しプレゼント。それがカルティエの名品「サントス」の由縁に▼ライト兄弟の兄ウイルバーから「オウム(=ブラジルの象徴)はよくしゃべるけど、飛ぶのはあまり上手くないよね」といわれたのに対し、「ボクの母国じゃ、オウムは空高く良く飛んでたもんだ」と反論したとか。晩年、自分が発明した飛行機が戦争で爆弾を投下していると心を病み、一九三二年に自殺。華々しくも物悲しい生涯だった。 (深)
06/01/05