2006年1月6日(金)
外国への技術移転はどのようになされたのか―。関西大学商学部商学科の長谷川伸助教授(40、群馬県出身)は、去年十月に来伯し「ウジミナス製鉄所建設期における技術移転と技術研修について」の調査を進めている。同大学の在外研修制度を利用して来伯。ミナス・ジェライス連邦大学で工学部生産工学科客員教授として今年十月までの一年間在籍する予定だ。
「日本企業がブラジルに現地化するにあたって、ウジミナスはひとつのモデルになっている」。一九六二年に操業を開始した同製鉄所は、戦後の日本にとって事実上はじめての大規模な企業進出だった。現在でも現地化する場合の模範企業とされているという。「わからないのは、なぜ成功したのか。一九五〇年代は条件が厳しかった。イパチンガは沼地だし、ブラジルはインフレもあったし」。
言語も大きな問題となった。ポルトガル語を話せない日本人派遣者とブラジル人従業員とのコミュニケーションは、現地日系人の通訳にたよるなど、彼らも技術移転において重要な役割を果たした。
熱い思いを持った人たちが何をどう成しえたのか。現在は関係者へのインタビュー取材を進めている。実際にそこで働いていたブラジル人にも聞き取り調査を行っていく予定だ。「とても大きな話だけど、人から人への技術移転に絞って調査を進めていきたい」と意気込みを語る。
長谷川助教授は、東北大学経済学部卒。「モノづくりが好き」だという理由から大学院で産業を研究するゼミに所属し、第二次世界大戦から現在までのブラジル鉄鋼業の発展過程に注目してきた。そもそも興味を持ったきっかけは、院生時代に見学した製鉄工場だという。「組み立て工場とはまた違う。印象的だったんでしょうね」。
今年からは同連邦大学学部院生に対し、自身の研究テーマについての講義を担当する。全部で三十時間、英語とポルトガル語で話す。「それまでにポルトガル語に慣れないと。でもその分、覚える気になりますね」。日本では学生が授業を企画・運営する「学生参画型」を提案し、それを授業に取り入れてきた。「こちらの大学は、日本のように教授が一方的に講義をして生徒がぼーっと聞いているような一方通行ではない。まだそこまで考えてはいないけど、ここで得た授業運営の経験も日本で活かせたらいいと思う」。
日本ではウジミナスを題材にしている研究者はほとんどいないが、ブラジルでは逆に多いという。「ウジミナスについては研究する価値があるのにもかかわらず、日本ではほとんど注目されていない。忘れ去られようとしている」と話し、「ウジミナスは現在の日本企業・社会にとって大切な示唆を与えてくれるような気がする」と期待を示した。