2006年1月7日(土)
「これはね、南米の日系コロニア導入第一号となった最新式の機器なんですよ。これで、パラグァイにある日系診療所の中で最高水準の医療サービスを提供できるようになりました」と誇らしげに語るのはパラグァイ神内日系福祉センターの佐藤隆一事務局長(山形県出身)だ。
イタリア製超音波機器がそれ。導入にあたり、試験運転を行った国立アスンシオン大学付属病院勤務の佐野政男医師(医学博士、福岡県)は、「同じ機種は今ではアルゼンチンとブラジルにも入っていますが、パラグァイが最初でした。画面がデジタルシステムになっているため、動画を患者さんや関係者にそのまま見ていただくことができ、安心感も提供できます」、と説明する。
センターは首都アスンシオンに隣接するFernando de la Mora市にある。『CLINICA NIKKEI』として住民から親しまれている。
内科、外科、産婦人科、歯科、眼科、小児科があり、日系人十二名とパラグァイ人三名の十五名の医師が交替で勤務している。診察時間は月から金の午後三時から七時まで一般受付となっている。
超音波機器は佐野医師を含め内科と産婦人科の医師四名が活用している。心電図、電気メス、運動負荷心電図、組織ドプラ、レントゲン、臨床検査(準備中)などの設備も整っている。
レベルの高い診察ながら、診察料が一般病院より格安となっているのが特徴だ。宿泊施設はあるが、入院患者を収容ができないのは診療所たる所以だ。
医療機器の殆どは日本政府の草の根無償資金の助成を受けて整備したが、最新式の超音波機器は財団法人・日本国際協力財団(神内良一理事長)の支援を得て導入した。福祉センターも同財団の支援で一九九五年に建設された。
センターの玄関には、右に笠松尚一翁の、左に神内良一理事長の、胸像が建立されている。胸像の下にある笠松翁の顕彰碑に「一九一〇年十二月十一日、小豆島・香川県、一九三六年、ブラジル日系拓殖組合の派遣技師として、ラ・コルメナに日本人移住地を開設。一九五四年、チャベス日本人移住の父」と刻印されているように、翁(二〇〇一年没)はパラグァイ日本人移民の祖なのだ。
神内理事長の顕彰碑に「一九二六年八月十五日、高松市。海外移住を志す・・・」とある。同県出身者で海外移住の夢を実現させた先輩の志に感動したことを伺い知ることができる。同財団の支援はブラジルやペルーやコロンビアなどの日系社会にも見られる。
笠松尚一翁は日本人会連合会、日系老人クラブ連合会、日系商工会議所、日系社会福祉協議会の長なども歴任し、パ国における日系社会の結束に不滅の足跡を残した。一九八二年に勲四等瑞宝章とパ国で日本人初の国家功労賞を授かっている。
生前に残した最後の遺産・日系福祉センターがCLINICA NIKKEIとしてパ国社会に貢献し続けている。
「日本国際協力財団と神内理事長には言葉に尽くせないほどの感謝をしています。近隣諸国の皆さんも日本からのパ国訪問者も、ぜひこのセンターに立ち寄ってください」と古希を過ぎても元気旺盛な佐藤事務局長は呼びかけている。
二〇〇六年は日系福祉センター創立十周年、そして、パラグァイ日本人移住七十周年を迎える。
センターのTelfax:+595-21-513-479,E-mail:fukushic@quanta.com.py