2006年1月10日(火)
もう一度、世界の体操界で審判できるチャンスを手に入れることができた―。二〇〇八年北京オリンピックの体操審判に日系人二世が選出された。体操専門クラブ「yashi」の沢里ユミ・コーディネーター(56)だ。オリンピックで国際審判を務めるのはシドニー、アテネに続いて三度目。先月十二月十六日から二十一日まで千葉県で行われた国際審判講習会に参加、試験に合格し国際審判の資格を得た。
四年に一度開催される講習会には、四十三ヵ国九十四人が訪れた。そのうち試験に合格したのは二十一人。ユミさんにとってもプレッシャーの多い試験だったという。「今まで合格してきたから今回の北京でも、絶対審判をしたいと思って勉強した」。国際審判には「1」から「4」のカテゴリーがあり、ユミさんは一番レベルの高い「1」の審判員として審査する。女子の部は跳馬、平行棒、平均台、床の四種目。一種目に八人の審判員がつく。「もう一度オリンピックに行きたかったから嬉しい」と笑顔で喜びを表す。
国際審判の資格を獲得したのは一九八十年。翌年、モスクワで開催された世界体操選手権大会で国際審判員として初めて審査した。「国際審判は世界中の審判を知れるし、本当に楽しい。だからその後も試験を受け続けた」と語る。
ユミさんが体操を始めたのは十三歳。選手としては十四歳から二十一歳まで活躍し、一九六九年の南米大会では個人総合四位という輝かしい成績を収めている。「私はタレントなかったけどね。だからその分頑張り屋だったの。ものすごく練習した」と思い出す。その後サンパウロ大学体育学部を卒業し、七一年、神奈川県県費留学生として東京教育大学(現・筑波大学)に一年間留学。体操コーチ、審判について学んだ。各体操クラブに行き調査も重ねた。現在、国際体操連盟(FIG)メンバーの一人で、オリンピック個人総合二連覇の偉業を果たした加藤沢男・元体操選手とも留学中に知り合い、友達になった思い出があるという。帰国後は、自身の出身学部で十八年間教鞭をふるった。九十一年には「yashi」を設立しサンパウロでは唯一の、体操専門クラブとなった。現在はこれ以外にもFMU体育大学、サント・アンドレー大学でも教えている。
選手のトロフィーが所狭しに並ぶ「yashi」では、一流選手を輩出していることでも有名だ。同クラブからもミレーナ・メグミ・ミランダさん(13、三世)が北京出場候補に選ばれている。現在は、ブラジル体操連盟があるクリチーバで、十二人の候補選手とともに練習をしている。北京へ行けるのはそのうちの半分。「一人で辛くても頑張ってますよ。今は二〇〇七年に行われる汎アメリカン大会を目標にしているそうです。これはオリンピック出場への要となる試合。きつい練習だと思うけど、北京にいってほしい」と活躍を期待する。
「yashi」では「ブラジル体操界のレベルをあげたい」と毎年、強豪・中国、ロシアなど各国からコーチを招聘している。ユミさんは現在、コーチを育てる役割も担っているが、自身もコーチ経験がある。「あの時は、もの凄く厳しいコーチとして有名だったのよ。きつく教えないと覚えない」と、優しい笑顔とは裏腹に体操への厳しさが窺える。「でも、教えるのは本当に楽しい。これからもずっと体操にかかわっていきたい。北京もとても楽しみです」と抱負を語った。