昨年末の「ぷらっさ」欄に、星野瞳さんが交通事故死した上村よしえさんの追悼文を書いていた。故人を知る人たちによれば、よしえさんは人間が持ちたい美徳を日常的に具現してきた。美徳は「やさしさ」と置き換えてもいい。具現は真の奉仕活動の実践であった▼星野さんは、自身や家族が上村家に世話になってきたことを紹介したあと、よしえさんの「ルアでのゴミ拾い」についてふれ、その行為と伯字紙の記述とが噛み合っていないことを残念がっていた▼星野さんのその部分の文は「(伯字紙は)よしえさんはいつもルアの紙を拾っていた、と書いて居て、紙を拾って集めていた様に感じさせる書きぶりであって――」▼ルアを少しでもきれいにしようと、紙(ゴミ)拾いをしていた、という状況を見極めない報道記者に怒っている。そのことがわかる本紙読者も同感であろう。露骨にいえば、ゴミを何かに使うような、伯字紙の書きぶりだったわけである▼実際、市民の大半は、ゴミのポイ捨てにほとんど「抵抗がない」。立派に着飾った人がたばこの吸い殻や紙くずをルアに投げ捨て、去って行く。「掃除人を雇え」と言わんばかりだ。公共の場を汚す行為、とは思っていないのである。チエテ川の汚染も、家庭や工場が汚水処理コストを節約した結果であろうが、根本は、汚してはならないという思いが欠けているせいだ▼よしえさんの紙拾い行為を「公共」と結び付けて、書いてほしかったと考えるのは星野さんだけではない。(神)
06/01/11