2006年1月17日(火)
ブラジル日本語センター(旧日本語普及センター、谷広海理事長)の創立二十周年記念式典が十四日午後一時三十分からサンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区の同センターで開かれ、約百二十人が祝福に訪れた。谷理事長は改めて、同センターは教師を支援する団体であるとの方向性を強調。日本語教育に献身してきた、功労者や教師などが表彰された。式典後に座談会「日本語教育 今、昔」が企画され、五人のベテラン教師や運営責任者が、現場の苦楽や魅力を訴えた。日本政府からの助成金が縮小していく中で、〃成人式〃を迎えた同センターが、これからどう発展していくのか注目されそうだ。
式典挨拶に立った、谷理事長は来賓、出席者に感謝した上で「三~四年前まで生徒数が少なく、教師も減っていました。ここ二~三年で能力試験や子供テストの受験者数も伸びています」と喜色満面に語った。
その上で「ふれあいセミナーでは百二十人の定員に、百五十八人の応募があり断るのが大変でした。センターは教師を支援する団体。先生と一緒に、日本語教育を盛り上げていきたい」と力をこめた。
西林万寿夫サンパウロ総領事は「日本から遠い国で、二・三世が流暢に日本語を話す姿をみるのはうれしい。これは皆さんの尽力の賜物です」と関係者をねぎらった。
助成金の交付などで関係の深い、石橋隆介JICAサンパウロ支所次長は健全運営に感心。「ここに用できて、弁当を食べると、後で必ず請求書がくる」と会場の笑いを誘った。
センター設立の母体の一つになった、文協の上原幸啓会長は「私たちは、嫁いでいった娘を持つ親のような心境を持っています。日本語教育はいかに多くの先生を確保するかにかかっているのではないでしょうか」と述べ、今後の発展に期待をかけた。
この後、特別功労者・教師功労者・一般功労者約五十人が表彰を受けた。伊津野敬嗣さん(熊本県出身)が代表して、「お話し大会といった、全伯規模のコンクールはセンターという組織があるからこそ実現しているのです」と謝辞を述べた。
式典には国際交流基金、JETROサンパウロ事務所、県連、日伯文化連盟などから来賓者が訪れていた。
座談会では日下野良武副理事長が司会を務め、サンパウロ市を始め、南マット・グロッソ州、リオデジャネイロ州などに住む五人(いずれも受賞者)から、現場での苦労や喜びなどを聞き出した。
日本語教師は「薄給だ」「主婦が片手間にする仕事」などと言われ、敬遠されがちな職業かもしれない。五人は、生活は苦しかったが、人間つくりに関わることの喜びが大きかったなどと振り返った。「カネ儲けではなく、使命感を持ってする仕事です」と語り、ベテラン教師を評価するとともに若手を励ました。
「幸せだったのか?」との司会者の質問に、いずれも「はい」と頷き、「生まれ変わっても、また日本語教師になりたい」と結論付けた。