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コラム 樹海

 昨年、ブラジル日本文化協会の〇六年度予算案が公表されたとき、違和感をおぼえたのは、主として一世会員である。赤字予算案だったからだ。予算案を組んだのは、主として二、三世の役員たちである。できることなら、赤字になどしたくなかった、止むなく、というのが本当のところだろう▼一世たちは、公的団体の予算案は、収入と支出とがぴったり合うよう組まねばならないとハナ(端)から考えている。理屈なしに、といってもよい。赤字予算などとんでもないのだ。こう言う。「入るのを計って、出るのを制するのだ」▼現実は、入るのを計るのは容易でない。現役員たちは「入る」をいろいろ考えたであろう。だが、方策がなかった。「出る」ほうは増える一方で、どうしても削られないから、そのまま予算案化したのである▼なぜ、一世は、収支とんとん予算を、可能ならば、黒字予算に、とこだわるのだろう。それは、自身の家計はともかく、公的団体はそうあるべき、と愚直なまでに信じているからだ。赤字にすれば翌年、翌々年まで悪影響がある、あとを継ぐ役員にも迷惑をかけられない、そう思い込んでいる。下世話にいう、因果な性分だ。ブラジル社会におけるいい意味での「ガランチード」の評価は、全般的に、この性分があったからこそである▼文協経営は、まだしばらくの間、こうした「考え方違い」が生じていくだろう。一世会員たちは、自身の痕跡がなくなるまで、赤字予算は、想定内としてかからねばなるまい。(神)

06/01/20