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☆パウリスタ・スポーツ賞☆=3月に第50回贈呈式=コロニアに平和を願い創設=運動界振興に半世紀の歴史

2006年2月21日(火)

 日系スポーツ界を支援して半世紀――。伝統を誇る第五十回パウリスタ・スポーツ賞贈呈式が三月二十三日、午後七時から文協ビル記念講堂で行われる。
 昨年は恒例のスポーツ部門に加えて、パーク・ゴルフ及びマレット・ゴルフ両部門の功労者に特別賞が贈られた。今回はこの二部門を加えて十二部門の功労者に第五十回パウリスタ・スポーツ賞が贈られるほか若干の特別賞があり、日系スポーツ界半世紀の歩みを称える。
 パウリスタ・スポーツ賞は一九五七年、当時のパウリスタ新聞社の創刊十周年を記念し、スポーツ振興を図るために創設された。
 第二次世界大戦の暗黒時代を抜けたコロニアでは各地で、いち早くスポーツ大会の復活がみられた。
 そのトップを切ったのは終戦の翌年一九四六年の全伯邦人陸上大会だった。ついで四七年にはサンパウロ州野球選手権大会が開催され、戦前から盛んだったスポーツ界各部門に活気が戻った。
 勝っても負けてもスポーツ精神をもって、競技規定に従って堂々と競い、終った後はスポーツ仲間として互いの健闘をたたえ、和気あいあいの一時を過す。
 スポーツ振興は勝ち負け紛争などで分裂混乱したコロニア社会に、平和を取り戻すため重要な役割を果たしてきた。
 パウリスタ新聞社ではこのようにスポーツ界を見守り、報道してきた。スポーツ賞の創設は当時としては企画的なことで、時を得た事業として大変に関係者は喜んだ。
 第一回目の受賞者の選考は当時のコロニア・スポーツ界の権威、吉田光男、久万浩両氏に選考委員を依嘱して進められた。陸上、野球、庭球、卓球、柔道の各部門から七人がノミネートされて慎重に審査された結果、陸上の芥田和夫ルイスさんが第一回パウリスタ・スポーツ賞の受賞者に選ばれた。
 芥田さんは南米陸上競技選手権大会、走り幅跳び第三位、サンパウロ州大会で三段跳びと走り幅飛び三年連続優勝、さらに前伯邦人陸上大会では百メートル(十秒八・レコード)の優勝者という輝かしい成績を残していた。現役引退後も長く後進の指導にあたっていたが数年後に病没した。
 第三回スポーツ賞からはスポーツ各部門別に受賞者を決めることに変わり、陸上、野球、庭球、卓球各部から四人が受賞した。
 その後、一九九八年にパウリスタ新聞と日伯毎日新聞が合併して現在のニッケイ新聞となったが、パウリスタ・スポーツ賞は継続されて現在に至った。
 コロニア・スポーツ界の著しい発展にともない、受賞部門が逐次増え、今回はゲートボール、ゴルフ、陸上、剣道、野球、卓球、柔道、相撲、水泳、庭球、パーク・ゴルフ及びマレット・ゴルフの十二部門となった。
 なお、コロニア柔道界が育てたソウル・オリンピックの金メダリスト(後の五輪で銅銀とみごと三冠を達成)、アウレリオ・ミゲールさんもパウリスタ・スポーツ賞を受賞しており、現在はサンパウロ市議会議員の要職にある。
 また、贈呈式後は大サロンで、記念カクテルパーティーが行われる。