2006年2月22日(水)
【ヴェージャ誌一九四三号】ハーバード大学経営学部のカニッツ教授は、近代経済学が純資産という概念を忘れていると訴えた。企業の経営力を計るうえで、純資産は重要な尺度であるが、会計士も税理士も興味を示さないという。国力を計るには、一年間に生産した物とサービスの国内総生産(GDP)を物差しに使う。生産したものがすぐ腐るものか、何年使用に耐えるかはGDPに表れない。生産した靴や携帯電話、テレビ、コンピューター、自動車、道路、橋の耐久年数という純資産をGDPに計上しないのは誤りだという。
ここに人類は、国力を計る純資産という大切な尺度を忘れた。純資産という考え方に立つなら、個々の生産物の価値を計るのに、どの位の資産を所有するかではなく、当世代がどの位の耐久年数の製品を提供するかが重要である。GDPという物差しは数量だけを追い、品質は不問である。
例えば、A国が五年間使用可能な製品を生産する。一年しか使用に耐えない製品を生産するB国より、A国は五倍豊かな純資産を有する国といえる。しかし、国際通貨基金(IMF)は、AB両国を同程度にしか評価しない。それでブラジルは、品質管理や耐久年数、製品の信用度についてズサンなのかも知れない。
特に公共サービスでは、サービスの質を問うことはない。なぜ公共サービスの質向上に励まねばならないのか、いぶかしく思うだけだ。GDPは金額だけを競い、品質は問わない。道路は舗装しても、四年しか耐えない。破損し補修したら、GDPが倍増すると考えている。
経済学に三つの学派があるが、どれも耐久年数を指摘していない。耐久年数は、金利や為替のように重要要因として認めていない。金利や為替は立派な学問だが、耐久年数は日陰者扱いになっている。
歴代政権は一九六四年以来、北東部開発のために数々の奨励政策を打ち出し輸入代替に取り組んだ。さらに輸入国から輸出国へ転換した。しかし、耐久年数を奨励することはなかった。製品の耐久年数は、貧乏国が先進国と競う最重要手段であるのに、大切なものを見落とした。
ブラジルの住宅政策は、低所得者が求める中古家屋の購入に金を貸さなかった。なぜなら中古家屋の売買は、GDPに計上されないからだ。祖母の時代の冷蔵庫は、二十年間使用が可能だった。現在は五年で故障し、買い換えるように設計されている。そうすればGDPが増える。しかし、純資産は減る。
先進国では、年代物を貴重品扱いする。消費者が欲しい物を全部所有しているからだ。メーカーは年代物を捨て新しい物に買い換え、GDPを増やすように広告宣伝で消費者の洗脳に没頭している。
ブラジルでは低所得者に使い捨てを求めても貧困から抜け出せないから、所得の再分配にならない。消費美徳論は富の再分配で逆効果となり、所得格差の拡大へつながっていることに誰も気づこうとしない。
純資産という考え方に立つなら、ブラジルの指導者階級は次世代に莫大な債務を残すだけで、未来への夢を託すことはない。使い捨てと消費を美徳とする風潮で押し流しGDPを盛り上げるのが善で、GDPに表れないものは無駄な労苦と思っている。
GDP至上主義は雇用を創出し、政府の目標とするところだ。その一方で地球温暖化と環境破壊、産業廃棄物のタレ流しには目をつむる。GDPが悪いのではない。純資産という考え方を忘れたのが誤りなのだ。