2006年3月3日(金)
どうしようもなくブラジルに魅せられた―。一年の研修を終え、帰国後ブラジルに戻ってくる交流協会生は多い。「まだまだやり残したことがある」ともう一度、ブラジルに挑戦する人もいる。
「成田空港に着いた瞬間、何だここは、と思って幻滅した」と話すのは太田千尋さん(29、二十一期生、愛知県出身)。「売店のおやじの顔とか最悪!新宿を通った時なんか町の冷たさにすっごいショックを受けた」という。現在は、名古屋に本社を構える電話会社で働き、ブラジル、南米へのプリペイドカード販売を担当する。
日本全国の在日ブラジル人が相手。約五百件あるブラジル関係の店へ行き、全てポルトガル語で営業をする。仕事に関係のないところで通訳の仕事を頼まれることも。「こういう人たちは本当に日本人とかけ離れた生活をしている。でも、みんな日本人の友達が欲しいし、一緒に遊びに行きたいって言う」。
毎日、ブラジル人相手に仕事をするが「心ここにあらず。そのうち日本に順応していくと思ったけど大間違い。ブラジルに戻りたい」。
研修生時代は赤間学院で音楽教師をした。国立音楽大学でラテンパーカッションをしていたため、音楽の町サルバドールでの研修を希望していた。「結局サンパウロになったけど、私が一番研修先には恵まれていたと思う」。赤間学院でいつも仕事をともにしていた音楽教師の家でホームステイを経験した。「楽譜もあるし、ピアノもある。音楽でわからないことがあればすぐ聞けた。話題も合った」。
サルバドールでブラジル人の恋人もできた。彼も音楽に詳しかった。帰国後、一年してからバイーア連邦大学で二年間、同州民俗音楽を学んだ。その間、政府観光局の合奏団で、音符の読み方、発生の仕方など音楽の指導をしながら演奏もしていた。
この恋人とのことが日本のテレビ放送局でも放映された。『所ジョージの笑ってこらえて!』という番組の「世界の恋人たち」というコーナー。「いきなり電話がかかってきた。はじめ冗談かと思ったけど、恋人が出演する気満々だったから受けた」。全伯中六組のカップルの中から選考された。二週間かけて撮影。太田さんの日記をもとに番組がつくられた。「誰が私の連絡先を教えたのかと思ったけど、やっぱりOBだった。ニッパクの縦のつながりは凄いよ。何かといえば、OBが関係している」と笑う。
「ニッパクで来てよかった。一人でふらっと来るよりああいう機会を与えてくれて、自分が思った以上の研修ができた」と言い切る太田さん。「また音楽をしにブラジルに行く。やりたいことは山のようにある。バイーアの大学で学んだ民俗音楽研究以上のことをもっとしたい」。日本にいながらも心は常に、ブラジルを向いている。
(つづく、南部サヤカ記者)
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