3月3日は「雛祭り」―桃の節句とも。女児の節句であり春の訪れを祝うように華やかな内裏雛を飾り健やかに育つようにと祈る。あの胡粉を塗った人形が流行りだしたのは、室町の頃とされ庶民にまで行き渡るようになったのは江戸も終わり明治・大正になってからであろう。本格的には内裏様、三人官女、右大臣・左大臣などが並ぶ七段飾りだが、最近はこの本物を求める人が増えているそうだ▼尤も、住宅が狭くなっているせいもあって手のひらサイズの小さいのも人気も高いし、和紙を折った紙人形に目を向けるご婦人も多い。ただ、今頃になると思うのだが、ブラジルに来た日本移民はいろんな文化を持ってきたけれども、雛祭りや端午の節句は日本に置き忘れてしまったような気もする。もちろん、まったく無いわけではない。「雛壇やネグロ人形はあぐらかき(南声)」の句もある▼ネグロのあぐら―が、いかにもブラジルらしくておもしろい。恐らく、戦前の移民も戦後派も、その日々をいかに過ごすかに懸命なので古くから伝わる生活習慣や文化にまでは思いが及ばなかったのに違いない。あの戦後の貧しいときにも、雛壇や鯉幟はほとんど消えてしまったし、毎日の食べ物をどうするかに苦心し文化は遠い存在になってしまった▼やはり、文化は繁栄の裏打ちがないと、成り立たない。鯉幟が渓流に百本、2百本も上がるようになったのも、経済的な豊かさが語れるようになってからだし、あの赤い毛氈を敷き重箱・長持が揃った七段飾りに若い主婦が向かうのも、日本が恵まれているの証であろう。 (遯)
06/03/04