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民主主義に忍び寄る大衆迎合=運営能力なく政権を弱体化

2006年3月8日(水)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙二月十二日】政治学者でサンタカタリーナ連邦大学のエクトル・R・レイス教授が、南米諸国では八〇年代から民主化運動が始まったが、民主主義と大衆迎合主義が混同されていると次のように述べた。
 この混同はブラジルを始めペルー、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビアでは珍しいことではない。メキシコもまだ可能性がある。現在進行中の民主化は、どれも単純な迎合で動いているという。
 軍部によって降ろされたヴァルガス政権やペロン政権は、有識者階級からも拒絶された。その事実を忘れ、大衆迎合がまた復活しつつある。この時代的現象には二つの顔がある。支持票獲得のための大衆迎合と民主的イデオロギーだ。この混同は、南米の民主化に大きな弊害となる。
 迎合主義は民主化にとって逆効果で後遺症を残す。南米では迎合主義が、多数市民の支持を得て容易に社会運動へ発展する。しかし、この市民運動を政治の道具にして政党の基盤を築く考えはなかった。以前の迎合主義は、政治活動となる前の社会的権利の回復運動であった。
 現行の迎合主義は、古い概念をくつがえし政治への足がかりにした。迎合主義を発展させて民主化へ持って行こうというのだ。この運動に社会疎外者たちが目覚め、政治運動に参加するようになった。民主主義とは、全ての国民に人間としての生きる権利を与えるチャンスを創ることだともっともなことをいう。
 民主化の立役者は、迎合主義者ではない。迎合主義者に中道主義者はいない。大衆に迎合するため仮想敵をつくり不満分子を募るのが、大衆を唆す手っ取り早い方法である。それは、極左分子か煽動主義者が用いる常とう手段なのだ。
 民主主義には、ロジックが必要。そして経済的自由と政治的自由を求め、口車に乗らない。迎合主義は誘惑に弱く、収入以上に支出し、責任転嫁をする。市場経済と相容れない。生活向上のために努力しない。物事が上手く行かないと、資本主義の責任にする。
 以前の迎合主義は、民主主義を害しないため民主化の過度期と考えられた。現在の迎合主義は、民主化に巣食う病原菌である。迎合主義者は政権を獲得したら、直ちにユートピアを実現し、力では制圧できないことを公約する。
 大衆迎合主義が政権を手に入れたら、どうなるか。基本的人権はどうなるか。迎合主義は生産能率や機能する政権など考えても見ない。迎合主義者は政権の構造を知らない。政府とは手段であって目的ではない。迎合主義者にとって政権とは、階級闘争の単なる標的に過ぎない。
 政権基盤が弱い国は、迎合主義者の格好の止まり木。迎合がもてはやされるほど政権は弱体化するが、迎合主義者が代わって政権を執る能力はない。迎合主義の横行を防ぐには自由主義の理念を確立し、大衆迎合にスキを与えないこと。迎合主義とは大衆を唆すことで、右も左もなく目先の都合で政治路線が決まる。