2006年3月8日(水)
パウリスタ・スポーツ賞野球部門は第二回(五八年)に始まった。
同部門初の受賞者は戦前からの野球マン、広田栄一さん(84)である。
埼玉県出身。一九三六年十五歳の時に家族移住、ブラ拓のチエテ移住地に入植したが、早速地元のチエテ・チーム(菊地軍平監督)から勧誘され、翌年には第二回サンパウロ州野球大会に出場し、レフト、六番、十六歳で初陣を飾った。浦和商業高校野球部時代の経験が活かされ、チームの優勝に貢献した。
これに続いて第三十九回、四十回、四十一回大会に出場した。当時は強豪の打倒「弓場チーム」に燃えていた。ノロエステ、ソロカバナ、パウリスタの三戦対抗戦でも活躍した。「戦前も野球は盛んで、選手として多くの試合に出場しました」と弘田さんは昔日を振り返る。
戦後間もなく四七年に家族ぐるみサンパウロ市に移転、この年にサンパウロ州野球連盟が結成された。
早速、サンパウロ・チームに入り、カムバックし、五三年までプレー。五五年から五八年まではジガンテで活躍、その間五七年、第十一回サンパウロ州大会に監督兼選手として出場、最優秀選手賞を受賞して五八年に野球部門初めてのスポーツ賞受賞者に選ばれた。
六一年には南伯産組に野球部が創設され、初代監督に就任、七四年まで通算十三年間も指導をした。
その後も同チームのジュベニール部総監督として六年間後進の育成に励んだ。
九二年に肥料主任を最後に組合を退職。勤続三十七年、かたわら常に野球部の発展に尽力してきた。
「その後も観戦はよくしました。野球とともに良い人生を歩み満足です」と根からの野球愛好者である。(不定期連載)
■第50回パウリスタ・スポーツ賞=輝かしい歴史=連載第1回=半世紀前の受賞者=芥田さん偲ぶ=「純粋なスポーツマンでした」