2006年3月14日(火)
一九八〇年、第二十三回パウリスタ・スポーツ賞庭球部門の受賞者、庄司光男さん(85・宮城県)は、日系庭球界の元老と言われる。
一九四三年、コチア産業組合の職員時代に組合創設者、故下元健吉専務の奨励により職員が中心になって庭球が始められた。
戦時中、日系人の集会の厳しい中でも当局はこれを容認してくれ、下元さんもラケットを握って職員たちと庭球を楽しんだ。
下元さんと一緒に庭球を始めた庄司さんは以来六十三年間、ラケットを離すことなく日系庭球界にどっぷりとつかっている。
組合を中心に庭球振興をはかった下元さんは後にコペル・コチア・スポーツ・クラブを作り、一九四七年には第一回邦人庭球選手権大会(下元委員長)がここで開かれ現在に至っており、幾多の優れた選手を輩出してきた。
庄司さんは第一回から委員として大会運営に携わってきた唯一の人であり、生き字引きである。
昨年病死した故エミリア夫人(行年七七歳)は七八年の受賞者である。若い時代は優秀なプレーヤーとして活躍、全伯邦人大会で優勝十七回、準優勝四回の偉大な記録を残している。
二人はコペル・コチアのカンポで出会い四八年に結婚。庄司さんは農産物仲買商のかたわら、土、日曜日は夫婦揃ってコペル・コチアのカンポに通い「おしどりテニス夫婦」と周囲を羨ましがらせていた。
庭球と共に歩んだ夫人を失った庄司さんの悲しみは深い。「家内は純粋なテニス・ウーマンで死ぬまでラケットを離さない人でした。今回の第五十回目のスポーツ賞、ぜひ見せてやりたかった」と、夫人の残したスポーツ賞のタッサも一緒に抱いていた。
■第50回パウリスタ・スポーツ賞=輝かしい歴史=連載第1回=半世紀前の受賞者=芥田さん偲ぶ=「純粋なスポーツマンでした」