2006年3月15日(水)
「農業はいいねえ、毎日が楽しいよ。しかも、この地域ではね、日本の田舎にあったような、近所付き合いの習慣があり、住民が人なつっこくて親切なので外国にいるような気がしないよ」。こう話すのは、パラグアイのカラガタウ市で農業を営む中越利和さん。高知県出身。七十六歳の今も、アスンシオン郊外のこの町で、植林と作物栽培を調和させる複合農業を実践している第一人者だ。
カラガタウは首都アスンシオンの北東約九十キロにある人口三万五千人ほどの閑静な町。標高二百三十メートルで、年間を通してパラグァイで最も暑い町、と住民は感じている。それを裏づけるかのように、冬でも霜が降りることは滅多にないようだ。
中越さんは、一九五〇年代後半に子供四人連れの家族でパラグァイに移住した。戦争当時は予科練だったが、従軍することなく終戦を迎えて郷里に戻った。
貧困から脱出するために南米移住を考えた。ドミニカなどは好条件が宣伝されていたが、比較的に条件の厳しい道を選んだほうが無難と考えてパラグァイを選んだ。
最初はサンタローサ近郊に入植したが、子供たちの教育のことが 気になっていた矢先にカラガタウ(Caraguatay)という町には高校まであることを耳にしたため、自分でこの町に下見にきた。町の姿や周囲の環境や土地条件が気に入り、すぐに家族を連れて転住してきた。
決断は正しかった、と今でも自認しており、楽しい毎日が続いている。町の古老は、この町が創立されてから二百三十五年になるが、教育の町としての伝統はずっと続いている、と言う。
現在、カラガタウに住んでいる日本人は十二家族。中越さんは最古参であり最長老でもある。二十年前(一九八六年)に転入してきて、アスンシオン市場向けの野菜栽培を手広く手掛けている木村岩夫さん(長崎県)も中越さんを「師匠」と仰ぐ一人だ。
子供たちの教育を含めて、世話になっているこの町に美しい環境を残そうと中越さんは四十年ほど前から木を植えている。苗木も自分で育てている。
最初は台湾桐を植えた。最近はマホガニーの亜種であるオーストラリア原産のアウストリアノ(パ国での通称・セードロ)も植えており、森林面積は数十ヘクタールまで広がっている。
中越農法の特徴は樹木の間にバナナや野菜を植えていることだ。レモンやマンジョカなども植えている。たとえば、上で広がる木の枝と葉がバナナを直射日光から適度に守り、バナナの皮に光沢が出て付加価値の高い産物となっている。収量も多い。
中越さんが栽培しているバナナはブラジル種のプラタ(銀)。樹木はバナナに負けずに成長しようとするので脇枝を出さずに真っすぐに伸びる。その一方で、樹木はバナナ、レモン、マンジョカ、野菜に水と養分を供給してくれる。マンジョカも肉質がやわらかくて大きな芋に育つ。レモンも大粒で皮がつややかだ。文字通り、からだに優しい自然循環型の産品となっている。桐もセードロも落葉樹なので、冬に葉が落ちて分解し、果物や野菜の養分
ともなっているのだ。
四十数年間の試みが『中越流』自然と共生の複合農業となって開花している。土地活用に無駄がない。「ワシは科学知識が十分にあるわけではない。『家の光』の技術だけだ。真似してくれれば、この国の小農家でも自立できる。それで、十分だ。毎日が楽しいし、面白いし、人生に悔いなし、だよ」と屈託がない。
最近、日本での出稼ぎから戻った若者三人(二世)が、木搾液の抽出やバナナ栽培などに取り組み始めている。乞われるままに、いろいろと助言もしてきた。
この三人の頑張りは本物だ、と感知した中越さん、「若者にまだまだ負けられぬ」と植林地に牛を導入した。植林と酪農の共生も目指す元気な七十六歳だ。
「働く日本人、犯罪を犯さない日本人」のイメージがカラガタウ住民に浸透しており、市街地を歩いていても気持ちが良い。閑静な教育の町でパラグァイへの日本人移住七十周年目の明るい一面を見た。(渡辺忠通信員)