2006年3月18日(土)
池田美保子さん(旧姓平崎)は第十回(六六年)パウリスタ・スポーツ賞卓球部門受賞者で、第三回(五九年)受賞者の兄、故・平崎義積さんと共に一九五〇年末から六〇年代にかけて「卓球の平崎兄妹」とコロニア・スポーツ界で賛えられた人である。
兄妹は戦後の日本の卓球を持ち込んで新風を巻き込み、卓球界発展の中興の貢献者として知られる。
池田さんは渡伯前、全国高校卓球ランキング第三位の兄・義積さんの影響を受け、広島県鈴が峯女学園卓球部で基礎技術を身につけていた。それがブラジルで見事に開花した。
六三年、コリンチャンス・クラブ所属時代にブラジルで代表選手を目指して帰化している。
六四年は、まず九月に全伯邦人大会で準優勝、南米大会選考戦でストレート勝ちして、十月に同大会で準優勝を果たした。六五年には第十五回全伯邦人大会で常勝、高達笑子選手の五連覇をストレート勝ちで阻み、個人、女子ダブルス、混合ダブルスと団体(サンパウロ)の四タイトルを征し脚光を浴びた。
「そして六六年にパウリスタ・スポーツ賞を頂き私の最も充実した時期でした」と、往年の栄光と輝かしい青春時代を振り返る。
コロニア卓球界の先達、故・道田治男さんは「美保ちゃんは、マナーが立派で性格もいい。強いばかりではない」と池田さんを評した言葉を遺している。
今は幸福な結婚生活を送り、一男二女を育て上げた。茶道歴三十年、裏千家師範池田宗美として、また、華道歴四十五年、香月流師範池田香保として、茶道及び華道界で活躍している。
義積さんは五八年度サンパウロ州一級個人戦を征し国内大会では全勝、西独の世界選手権大会出場を果たし、「脱ピンポン」に貢献した。池田さんは兄を偲び「スポーツ賞五十年、心の中の義積さんと一緒に出席します」と結んだ。
ちなみに、平崎義積さんは元パウリスタ新聞スポーツ記者、美保子さんもパウリスタ新聞出身である。
■第50回パウリスタ・スポーツ賞=輝かしい歴史=連載第1回=半世紀前の受賞者=芥田さん偲ぶ=「純粋なスポーツマンでした」