2006年3月21日(火)
第一日
きのう整えた用具を点検して四つに分ける。土人二人は、背負い籠にポンポンほうり込んで、鍋を逆さにかぶせて、燈油ビニール瓶一本を籠のわきにくくりつける。
我々の分は、小麦粉の空き袋の上端と下端を紐で繋いで背負ってみたが、重さが尻の上にかかって、歩きにくくて仕様がない。そこで背負い梯子をつくることにする。
まず、直径三センチくらいの太い蔓をU字型に曲げて、三カ所くらいに横木を縛りつけ、木の皮を幅広く剥いだのを背嚢の肩当てよろしく縛りつける。荷物は袋に入れて背負い梯子にくくりつけ、担ぎ安いように形を整える。担いでみると、たいへん具合がよろしい。作るのにものの十分もかからなかった。手慣れたものである。
午前七時、いよいよ出発。足ごしらえは地上足袋に巻脚絆、土人は裸足(はだし)で、ズボンの裾と膝の下を薄く剥いだ木の皮で縛る。これは、べたべたするのを防ぎ、木の枝や小さな木の切り株にひっかからないようにして、歩きやすく、かつ物音を立てないためでもある。
家を出てしばらく行くと、小川があり、その上に直径一メートル半くらいのカスタニャの倒木があって、川を横切っているので、その上を通ってリモンというところに出る。
ここまでが人の住んでいるところで、それから先は人が住んでいない。それでも焼き畑をつくったところが、ところどころにあり、マイカーというところを過ぎると、それもなくなり、まったくの原始林。それでも猟師たちはよく狩猟のため踏み込んでいるので、けもの道程度の道でも間違わずに歩いて行く。
約二時間歩いたとき、先頭を行くフィルモが「オッ」と言ったと思うと、左手の薮のなかに飛び込んで行った。何かと見ると、長径二五センチくらいの亀を捕らえていた。ちょうど少しくたびれていたので、小休止ということにして、ピラルクーの焼いたのをむしり、ファリニャを口にほうり込み、口のなかでモガモガ動かしてから、呑み込む。慣れてしまうと、けっこういける。
ひと休みしてまた歩き出す。途中別段変わったこともなく、約二時間くらいで川幅五メートルくらいの小川に出る。ただし、乾期であるので水はない。落ち葉が一面に覆っている。ここがアレンケールから四十キロの地点という。
小生の住むところは、三十キロの地点である由。図上では十キロくらいのところを四時間もかかるのは、道のせいで、歩きやすいところを辿るため、右や左に迂回に迂回を重ねるからである。
ちょうど、昼時であったので、昼食することにして、さきほど捕らえた亀を焼く。始めひっくり返したのを火に乗せると、しばらくばたばたして、やがて静かになる。すると今度は腹を下にして乗せる。しばらくそのままにして、また背を下にして焼く。ほどなく、よい臭いがして来て、背の甲が割れ始める。これが焼きあがった時機で、少し冷やしてから、背の甲から割り、前脚やら後ろ脚やら、尻尾やらてんでにむしり取って、少し塩をつけて食べる。
野蛮この上もないが、アツアツのを吹きながら食べるので、たいへん旨い。「これでリモンがあったらなー」などと、贅沢なことを言いながら、たちまち骨と甲羅だけにしてしまった。脂だらけの指をなめながら、「あぁー、旨かった」。つづく (坂口成夫さん記)