ブラジルの某日系資料館で働いている知人がこぼしていた。
「かつてはここにあった資料が散逸してしまい、何故か東京の国会図書館にあったりする」
移民社会が自らの歴史に資料価値があるとの認識が薄かったからだろう。本紙で報道した広島市デジタル移民博物館のような例には声を大にして抗議すべきだが、歴史伝達の担い手は本来、こちら側なのでは、という思いを強くした。
先月、文協の史料館で教師研修会があった。歴史の教師でさえ、「ヤキソバはよく食べに来るけど、史料館があるとは知らなかった」
広報などの自助努力はしないが、立場のある日本の人が来ると、寄付のお願いはする。慣例かどうかは知らないが。
先日、百周年協会は取らぬ狸の皮算用をひとまず止めた。色んな意味でこちらが主役となる祭典作りに期待、だ。(剛)
06/04/07