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「YS11」日本でも引退へ=ブラジルではVASPが採用していた=印象的だった移民の人情=69年当時取材した久保=西日本新聞=記者

2006年4月8日(土)

 さらば、YS─11。日本が戦後初めて開発した、国産旅客機が四十年余りの役割を終え、今年九月いっぱいで完全に就航を止めることになった。ブラジルでは〃サムライ〃の愛称で親しまれ、かつてサンパウロとリオデジャネイロを結んでいた時代がある。〃雄姿〃を知る人には、懐かしい機体だ。ブラジルで活躍した約二十機のうち、一機は日本に里帰り。運輸省航空局に移籍している。〃退役〃を見越して、保存運動が盛り上がっていくかもしれない。
 六九年二月下旬。コンゴニャス空港に降り立った、日本人記者久保研介さん(現在八十一歳)の目に、VASP社の航空機が飛び込んだ。四年前の六五年に、同社が採用した日本の双発プロペラ機、YS─11だった。
 尾翼には、ローマ字で「SAMURAI」と書かれていた。迎えに来てもらっていた、福岡県人会の関係者に通訳を依頼。久保さんは、その足でVASP社を訪れた。
 久保さんは当時、西日本新聞の記者。「世界の祭り」の南米担当になり、ブラジルに来た。カルナヴァルの写真を撮った直後だった。
 パンプローナ社長は故・東郷平八郎の崇拝者。日本の機体を採用するに当たって、〃武士道〃を強調した。経済性も高く、経費はDC─6Bに比べて、三分の一に留まったという。
 久保さんを感動させたのは、県人会を始めとする日本人移民の存在。「人のために尽くすという雰囲気があった。ファゼンデイロにも人格者が多く、温かい人情が印象に残りました」。
 福岡県が農業実習生の派遣をスタートさせるに当たって、時の県知事から直接世話役を頼まれ、実習生の派遣が中止になるまで、二十四回連続して来伯。その都度、記事も書いた。
 取材をきっかけに福岡県だけでなく、宮崎県ともコンタクトが広がり、毎年、季節の便りを出している。
 海外日系人協会の『移住家族』八月号によれば、YS─11は一九七四年に生産を終了。四十年以上経った今でも世界の空を飛んでいるという。
 日本の空を飛んでいる、YS─11は日本エアコミューターの機材だけ。福岡─鹿児島、福岡─高知などを就航している。今年九月いっぱいで完全に引退するそうだ。
 福岡県の農業実習生は、ブラジル側の受け入れの問題などから、〇三年に中止され、久保さんも来伯する機会がなくなった。「実習制度は、心の研修だった」。YS─11の引退で、またひとつ日本とブラジルを結ぶ絆が失われるのではないかと残念がっている。
 先述した『移住家族』によれば、日本側では保存に向けた動きが始まっているそうだ。