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コラム 樹海

 どのように「死」を迎えるか?は難しい。痛みが無く静かに―は誰しもが望む。だが、意識もなくなった植物人間になる場合もあるし’そうしたときの末期医療についてもっと考える必要がありそうだ。富山県の病院で外科部長が回復の見込みが無くなった患者の人工呼吸器を停止し7人を死亡させた問題が話題になっている▼この事件が報道されると病院には1日数十件の電話があり、そのほとんどが、外科医と家族の尊厳死同意に肯定的なものだった。ある遺族は「呼吸器外しをお願いした」と証言し外科部長に同情を寄せる。恐らく―一般の人々の意見も同じではあるまいか。もう自分だけでは呼吸も困難になり食事や排泄も家族や看護婦の世話になるしかない。勿論―。会話は駄目。自分の意思を伝える力もない「生ける屍」になれば、延命治療を中止するのは、やむをえないのではないか▼川崎二郎厚労相も、延命治療に関して「論議を早める必要がある」と語っているが、日本はどうもこの課題に対しての取り組みが遅い。オランダには「安楽死」の法律があるし年間に2500件ほどが実施されている。アメリカでも「自然死(日本の尊厳死)」を認めている州が多い。日本も議論をもっと進めるべきは云うまでもない▼安楽死の歴史は古い。ギリシャで行われ「オイタナジ―」と呼び、オイは良い、タナトスは死を意味するのだそうだが、今こそ真剣に考えるときだ。医学の進歩が延命治療を生んだのはいいけれども、これによる不幸は身近にも多い。ただ―心臓が動いているだけの肉体に―価値があるとも思えない。  (遯)

06/04/08