サンパウロの援協も、ポルトアレグレの南日伯援協も、巡回診療車を一〇〇%自前で購入することは困難であった。サンパウロの場合は、強力な理解者が日本にいて、これまではなんとか、常備を絶やさないでくることができた▼南日伯援協の診療車は、古くなり、巡回に支障をきたす恐れがあったという。総領事館の閉鎖があり、JICAの助成金も減少し、この先どうなるか心配だったが、担当領事の尽力で辛くも診療車の買い替えができるようになった、と近着の同援協ニュースが伝えている。今後何年間か巡回診療は、車に関しては心配がなくなった▼さて、南日伯援護協会は、来る八月、リオ・グランデ・ド・スル州日本人移民五十周年記念事業を繰り広げる。今年は、日本人が州南端のリオ・グランデ市に第一歩を印してから五十年になる。日系の分益農が独立して州内に移住地を形成するのは六〇年代で、パジェー一九六一年、イボチ一九六七年である。いずれにしても大きなエポカであり、めでたい▼記念事業実行委員会は、リオ・グランデ市内の公園の一角に記念碑を建立、八月十八日に除幕式を行う予定だ。碑除幕式のあとポルトアレグレで、州公認の式典および多岐にわたる日本および日本文化紹介展を計画している▼日本移民五十周年と、日本の行政改革による総領事館の閉鎖は偶然重なったのであろう。これを機に日系人はもう自分の脚で歩きなさい、つぎの巡回診療車は、自分で調達しなさいということなのだろうか。(神)
06/04/12