2006年4月20日(木)
援協が本部建設に乗りだした。創立五十周年の〇九年の完成を目指すという。文協地下にある診療所を陽の当たる場所に移し、本部と合体させる。分かりやすい上に、中身がある計画だ。メトロ駅や文協に近い好立地なだけに、五階建てなんてケチなことを言わず高層建築にし、上部に日系老人ホームなどを作ってもらえば、さらにいい。こういう中身の分かりやすい構想が、箱モノとしては実にしっくりくる。
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リベルダーデ区にあるバンデイランテス病院が発行している「リベルダージ・ガイド」。―みどころ、遊びどころ―として、地図が掲載されているのだが、何故かブラジル日本文化協会が客家センターの場所に明記されており、その向かいには移民史料館が。日本人が東洋街になったばかりでなく、五十年の歴史ある文協が地図上では、築数年の同センターに吸収された形。笑うに笑えない皮肉な話だ。
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十六日付け、エスタード紙に「天ぷら」の語源に関する、以下のような投稿があったので紹介する。「三人のポルトガル商人が船でマカオへ向かっていた道中、台風の被害により、一五四三年の鉄砲伝来で知られている日本の種子島に上陸した。その時、テンポラス(四季の斎日=パスコアと同義)であった為、肉を食べてはいけなかった彼らは、魚・エビを釣って野菜と一緒に揚げた。魚や野菜の揚げ物を食べた経験のなかった日本人が興味を持ち、テンポラスから〃天ぷら〃と名付けたそうだ。それが一五四三年の復活祭の週だった」鉄砲と共に、天ぷらは大人気である。