2006年4月27日(木)
県連会長選挙で松尾氏が勝った。団体創立以来、初めて二つのシャッパが提出され、一世主体の勢力と二世層を中心としたそれが争い、二世派が勝った。その意味で、昨年の文協会長選挙と瓜二つだ。
しかも、一世側は戦後移民の高橋一水氏(文協の時は谷広海氏)を担ぎ、二世派は準二世の松尾氏(文協は上原氏)という点でも似ている。
県連選挙では二十八票対十九票で、わずか五人がうごけば勝敗は逆となった。昨年の文協でも第一次投票では谷派が多数を占めた健闘があったことを思えば、いま起きている現象には通底するなにかがあると思わざるをえない。
ただし、県人同士の親睦を主たる目的とする県人会――その連合会である県連は、文化普及の文協とは少々意味合いが違う。母県との関係というのは、胎児がへその緒で母体とつながっているように、切っても切れない存在だ。母県が県民の税金から支援金を捻出してくれるのは、まさにそのような血縁ゆえだ。お国言葉を知らない世代の母県との関係は、いままでとは変わってくるだろう。
今回の選挙結果に関し、一世からは「二世にはクルベとかいろんな自分たちの会があるんだから、そっちで活躍したらいい。一世にはこれしかないんだから、我々に残して欲しい」との怨み節も聞こえる。
四十年の節目を迎える県連だが、いままで対抗シャッパはでなかった。勢力争いがなかったわけではない。これは、いくらいがみ合っても一世同士なら話し合ってまとめてきた、ということに他ならない。
母県との絆は金ずるではない。顔の見える交流、血の通った会話を続けることが前提だろう。
その意味で、県連次期執行部に期待したいのは、日本とのやりとりを大切にし、日本祭りを盛り上げてほしい点だ。また、急激な変化をしない、慎重な舵取りを求めたい。
松尾シャッパが勝ったとはいえ、半数近くは高橋シャッパに投票した。県連が総力をあげて日本祭りや百年祭に取り組むなら、対抗勢力を取り込んでほしい。
昨年の文協選挙では、勝った上原シャッパが他の二シャッパのメンバーを統合することはなかった。そのしこりは今も続いている。だが、百年祭当日までは二年しかない。今回はその轍を踏まず、統合するぐらいの包容力のある取組み、話し合いを心がけてほしい。
県人会を一世の代で終らせるのであれば、それもまた一つの美学。だが二世に引き継がせるなら試行錯誤も必要だ。今回の選挙結果は問いかけている。一世の居場所とは、県人会の役割とは何なのか、と。(深)