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社会資本の概念の定着を=産業発展の基盤=有限責任でリスクに挑戦可=快く思わない左翼勢力勃興

2006年5月3日(水)

 【ヴェージャ誌一九五一号】十五世紀最大の発明は、パシオリ神父の複式簿記だとステフェン・カニッツ教授はいう。複式簿記のお陰で企業活動は大規模経営が可能となり、多くの職場を提供し社会疎外者が減った。パシオリ神父が複式簿記を考案したのは、社会資本という概念を生むことが目的であった。この概念は現在も、全ての企業で定款や契約書の基礎となっている。複式簿記が発明されるまでは、商人や農業生産者が債務を決済できないと土地や家屋、商品、家畜、農具、家具、家族の消費する食糧の蓄えなどが差し押さえられた。
 当時は、家族の消費と必需品購入のための生産であった。人々が自分のことだけしか考えないエゴイズムの時代であった。他人の消費と雇用創出のための生産は、狂人のすることと思われた。社会のための生産や製造販売は、当時の人間には考え及ばない概念であった。
 同神父が考え出した社会資本の概念は、まず有限会社という企業形態を生んだ。複式簿記の発明以後、会社を設立するとき有限責任、つまり倒産の憂き目にあったときに、社会資本という概念に基づいて責任の限度を決めることができるようになった。
 複式簿記の発明により続々、経営管理や資本投下に優れた人材が輩出された。有限責任の概念により丸裸になることもなくなり、企業家や資本家は失敗を恐れずリスクに挑戦できるようになった。リスクが怖くて何もできない人々を採用し、職場を提供した。それ以後の時代、産業は急速に発展した。
 しかし、ブラジルは蚊帳の外にいた。ブラジルの地方では、未だ昔の習慣が残っていて、基本的人権の侵害が罷り通っている。ブラジルでは、まだ多くの人が社会資本と有限責任という概念がわからない。
 社会資本とは資本家が企業に投資し、決済の期限まで労働者と資材供給者に保証する資金のことをいう。資金は投資されることで、社会資本へ変貌するのだ。学校で教えることとは少し違う。資本とは資本家のものではなく、社会のものである。だから社会資本と呼んでいるのだ。
 これがパシオリ神父の考え出した社会資本の法則であった。ブラジル人一般は、これが理解できないので産業の発展が遅れた。計理士や経済学者はこの概念を理解できる。だから社会資本を固定資本と呼び、会社が営業活動を行う間は請求権を認めない。請求権は、会社が営業を停止するときしか発生しない。会社が儲かっていれば、営業を停止しない。投資した資本家に資金は返って来ない。
 ブラジルでは二十万世帯が、GolやDasa、Copasa、Porto・Seguro、UOLなどの株を購入し、投下した資金の色を見ることはない。これら企業は、預かったお金を返すことはない。なぜならこの資金は、社会資本となったのだ。
 この二十万世帯とさらに二百万人の投資家から汗の結晶である貯蓄を預かり社会資本に振り込んでいる。社会資本という固定資本で、ペトロブラスやブラジル銀行、ヴァーレ・ド・リオドーセが同資金を活用している。これら企業は請求権のない資金を必要としている。これら企業群は好調であり、サンパウロ市証券取引所で上場している。
 ところが南米ではいま、社会資本を快く思わない左翼勢力が勃興しつつある。左翼政権の主張では、投資家に三十三年払いの年利三%で返済せよという。そんなことをすると投資家は金を散らしてしまう。企業は潰れ共倒れになる。
 多くの有識者がいうように年利一七%の配当金を払う国債を購入するほうが、有利だとする考えもある。これは経済と産業を支えている社会資本の誤解である。左翼政権が社会資本を攻撃する前に、パシオリ神父の社会資本の法則を勉強する必要がある。