2006年5月18日(木)
サンパウロ短歌会の合同歌集『光源都市(五)』が、このほど発行された。月例短歌会四百五十回記念出版である。
同短歌会は、全伯短歌大会開催の月を除いて、毎月第一日曜日、月例会を開いている。八七年七月にその月例会が二百五十回を迎え、記念に合同歌集『光源都市』を刊行した。以後、五十回おきに(二)(三)(四)と刊行を重ね、このたびは二月に四百五十回を記録したので、(五)が出されたのである。故人二人を含む三十六人の「一人三十首」が収録されている。
編集した上妻博彦さんによれば「作品の資質については、韻文学の生誕の地を、遠く離れた特殊な境涯での吐露であることは紛れもない事実である」。
サンパウロ短歌会の歴史は、『椰子樹』より古い。安良田済さんは、四百五十回という数は、短歌会を帳簿に記録するようになってからの回数だと言う。最初の短歌会は今から六十八年前の一九三七年に、暁星学園で行われた。夫由(武本由夫)、徳尾渓舟ら五人の参加があった。
邦字新聞の発行禁止、第二次世界大戦があり、グループでの作歌活動は休止。四五年、渓舟はスザノ、モジの歌人たちを招集して、戦後初のサンパウロ短歌会をサント・アンドレーの日本荘で開いた。五七年にサンパウロへ。その当時には、サンパウロ短歌会は組織化され、開催回数が記録されていた。
安良田さんは、歴史は継続という粘着力によってつくられる。継続は団結の力によって成立する。この歴史を合同歌集『光源都市』第五巻に参加された人たちの誇りとしたい、といっている。