最近、日本語をスラスラと話す若い人に会うと、つい「何世ですか」と聞く。留学生や旅行者であれば納得だが、三世となればどのように習ったのかとさらに質問してしまう。
日本語教育の難しさや日系社会の世代交代が言われる中で、日本語のできる三世、まして四世となれば「感心」してしまうのがコロニアでの常なのかもしれない。
日系三世の友人が「一世、二世が築いてきた遺産」という言葉を口にすれば「三世なのにたいしたもんだ」と一世。来伯当初はこの返答に「三世はダメなのか」と違和感を覚えた。
少しは「三世」という言葉に込められた語感が養われてきたのだろうかと自問するこのごろ。それは、コロニア全体の感覚に近づけたということなのか。それとも、一世の見方に染められたのか。 (稲)
06/05/30