2006年6月2日(金)
クリニカス病院の一室。壁一面に、サンパウロ市の地図が貼り付けられ、無数のピンが刺してある。「NADI」が在宅ケアをしている、患者宅の住所だ。
「毎日きつい、スケジュールになっています」と千馬さん。希望者は後を絶たず、患者数は約百四十人で、過去に百六十人を数えたこともある。
ケアの質を維持するために、患者数を抑えているのが現状。うち四割が緩和ケアを必要とする、回復の見込みのない患者だ。
州立病院だが、〃守備範囲〃は基本的にサンパウロ市内。域外になると現地の医療機関を推薦してもらうか、肉親が外来まできて在宅ケアについて指導を受け、医薬品を処方してもらわなければならない。
千馬さんは「州立病院が手を出しすぎると、市が動かなくなる恐れがあるので……」と行政上の欠陥もほのめかす。
かといって、私立を含めて、サンパウロ市内・近郊で緩和ケアに取り組んでいる病院は、ほとんど見当たらない。ディレンマに悩んでいるのが、「NADI」の本音といったところだろうか。
初年に研修医たちに、〃ボイコット〃された千馬さん。その後、積極的に学会などに出かけていき、広報活動に奔走した。一般参加が可能な講演会が企画されているのは前述の通りだ。
十人で始まった患者数は二~三カ月後に、三十人に増加。四年目には百二十人を数えた。「五年も経つと、モルフィネ注射の依頼もなくなった」。
研修医のほかにも、ボランティア医が協力。今ではスタッフになるのが難しい、押しも押されぬ人気チームだ。
「外来」と「在宅」は別組織。前者が「AMBULATORIO de CuIdados Paliativos」、在宅が「NADI」だ。
月曜~金曜の午前と午後にそれぞれある。「在宅」は水曜日の午前中が会議。研修医に対して、テーマの煮詰め方について指導するほか、現場で解決できなかった問題などを議論する。
千馬さんは「NADI」発足当初、患者を診察していた。現在はコーディネーター役。後進を育てる立場だ。千馬さんの上に指導教官として、ウイルソン・ジャコブ教授らがいる。
「外来」「在宅」ともに千馬さんの下に老人科医、社会福祉士や作業療法士、その下に研修医やボランティア医などがいる。
「NADI」に所属する老人科医二人は、いずれも日系人。連載二回で紹介した比嘉智子ケイラさん(31、二世)と山口正子アンジェリカさん(35)だ。それぞれ、約七十人ずつの患者を受け持っている。
「責任は重大です」と山口さん。回復の見込みがない、病気を持った高齢者らの治療を改善していきたいと、創立当初から「NADI」に関わり、九〇年代後半に契約医になった。
「緩和ケアの教育方法を広め、ホスピス病棟の病床を増やしたい」。
比嘉さんはサンパウロ大学医学部在学中に、医者になるからには、死をみる仕事を志そうと、老人科を選んだ。「誰でもいつかは亡くなる。でも患者さんが痛み、苦しむ姿をみるのが耐えられない」。
援協総合診療所で老人科を任されている比嘉さん。患者一人に当てる、時間は実に長い。じっくり患者の話を聞いている証左だろう。きめ細やかな対応は折り紙つきだ。
(つづく、古杉征己記者)
■緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(1)=回復の見込みない患者対象=生活の質を高める
■緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(2)=患者は「死」に対し神経質に=チームに求められる冷静、忍耐
■緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(3)=患者との絆どこまで深める?=思い入れ強過ぎても不可
■緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(4)=駐在員の子、10代波乱=進路迷った末医者の道決める