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ブラガンサ・パウリスタ市の親友=辻正夫さん寄稿=古川長官ごくろうさま=悔し涙に複雑な思い=「正真正銘のサムライ」

2006年6月2日(金)

 五月二十六日付けで辞任したサンパウロ州刑務所統括管理局長官の古川長さんが、PCC暴動の責任をひとり負わされた状況を厳しく批判し、記者会見で見せた悔し涙は記憶に新しい(五月三十日本紙二面)。国内で最も危険な犯罪者を収容管理する〃火薬庫の番人〃の重責を務めるかたわら、地元日系団体では運動会のライン引きまで手伝う一面ももっている。その気さくな人柄を慕う地元日系人は多い。古川さんの親友、ブラガンサ・パウリスタ在住の辻正夫さんが今までの功労をねぎらうメッセージを寄せた。(編集部)

 先週、サンパウロ州刑務所統括管理局長官の古川長さんが辞任、PCCによる暴動で、すべてのマスコミはそのニュースを伝え、結果論に基づいて古川氏の責任を追及、まるで彼の責任かのように伝えるマスコミもありました。
 古川氏はブラガンサ・パウリスタ市出身で、約二十年もの間、裁判官(ジュイーズ)の仕事を勤め、定年後、故マリオ・コーバス州統領の説得で大変なポストに就いておりました。その後、アルキミン州知事にも認められ、クラウジオ・レインボ氏のブレーンとして今まで務めてきました。
 ブラジル中のすべてのワルを掌握するという、まるで火薬庫の番人のような仕事を六年も勤めた後、ボロボロになっての引退劇でした。最後のテレビのインタビューで見せた彼の悔し涙と、大分白くなった髪の毛が六年間の苦悩を物語っており、そのシーンを見て私たちは複雑な思いと同時にホッとした気持になりました。就任以来、世の中のワルの仕組みにまるで一人でぶつかっていった彼の姿に応援、そして拍手を送った人は沢山いたと思います。
 古川氏の長所で一番感心したのは、偉くなっても決していばらないということでした。そして彼は自分が日系人であるということを常に誇りとしておりました。
 去年の十一月にブラガンサの日本人会は五十周年の祝典を行いました。その時、古川氏はいの一番に会館に来られてスピーチをして下さいました。自分が育った日本人会が今も若い役員のもとで立派に育っていることを喜んで、その日は最後まで会館で皆と談笑しておりました。
 運動会でも彼の姿は常連です。土曜日は会場作りのラインを引き、日曜日は朝から晩まで出発係で頑張ってくれています。今回、暴動が勃発したときは彼のケイタイは鳴りっぱなしで気の毒でした。
 また五年程前、アチバイア文協の山口節男さんから古川長官の講演会を開いて欲しいと私に依頼があり、多忙な彼に遠慮しながらお願いしたところ、快くOKしてくれ、当日はファミリー全員で出席して講演をしてくれました。また去年はある邦字新聞社の記者に、ブラジルの刑務所に服役している日本人とのインタビューの依頼を受け、彼に電話したところ、これもすぐに快諾してくれ服役中の日本人とのインタビューが出来ました。
 これは新聞に掲載されましたのでご存知の人は多いと思います。その時彼はサンパウロ州全体で日本人はたった二人しかいないという事実にまるで自分のことのように喜んでいたのを思い出します。彼は正真正銘のサムライです。
 裁判官として優秀な成績を収めた人間が、このような大変な仕事を長期間立派に勤めたということは、ひとえに彼のひたむきな勤勉さ、真面目さ、それに人間性であったと思います。
 今回の彼の辞任を一番悲しんでいるのは、最初に彼を抜擢した、今は亡き前州知事のマリオ・コーバス氏でないでしょうか。そして今選挙運動に全力投球中のアルキミン氏もおそらく同じ気持ではないかと思います。そして二人ともドトール・ナガシ、今までの働きごくろうさんと思っているかも。
 今年は大きな選挙の年、それは古川氏にとって少し不運なことであったと思いますが、どうかこれまでの疲れを癒し、またブラジルのために働いてください。みんなそれを期待しています。