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沖縄県人会に44番目の支部=クリチーバで発足式典=記念芸能祭に500人超集う

2006年6月6日(火)

 ブラジル沖縄県人会で四十四番目の支部となるクリチーバ支部が誕生し、発足式典が四日、同市のクリチーバ文化援護協会会館で開かれた。二世、三世の世代が中心となって実現した今回の支部設立に、サンパウロからもバス三台の慶祝団がかけつけた。式典とあわせ、同地ではじめてとなる琉球芸能祭「沖縄芸能フェスティバル」も開かれ、五百人を超える人が終日、多彩な沖縄文化に親しんだ。
 新たに発足した沖縄県人会クリチーバ支部。第一歩を記念して、サンパウロからも、県人会本部、サントアンドレ支部からバス三台、百四十人の慶祝団が同地を訪問。会場には、用意された五百席をはるかに超える人が集まった。
 五〇年代の最盛期には六十以上の支部が活動していた沖縄県人会。近年は若い世代の会離れや都市への人口移動もあって新たな支部が生まれることはなかった。クリチーバでも戦後の一九四七年ごろから頼母子会を通じて県人が集っていたという。支部も七〇年代ごろまであったが、その後は活動も途絶えていた。
 今回の支部設立は二世、三世が中心となって実現した。創立会員は四十人。三世の上江州安秀ジョルジさん(59)が初代会長に就いた。今年二月十九日に正式に発足し、記念の日を迎えた。
 芸能祭に先立って開かれた記念式典。上江州会長は、設立にあたっての県人会本部、クリチーバ日系クラブの協力に謝意をあらわすとともに、沖縄方言で「出会ったら兄弟」を意味する言葉「いちゃりばちょーでー」を紹介。「様々な民族からなるブラジルで、私たちもまた父祖の地沖縄の文化を守り伝えていきたい」と決意を表した。
 萩生田浩次クリチーバ総領事や同地の原ルイ市議、ロンドリーナの金城ロベルト市議、パラナ日伯商工会議所の上野アントニオ会頭なども会場を訪れた。サンパウロから駆けつけた与儀昭雄会長は支部設立に喜びを表すとともに「百周年に向けて共にがんばりましょう」とその出発を祝した。
 芸能祭では、サンパウロから訪れた野村流音楽協会、野村流古典音楽保存会、琉球筝曲興陽会、筝曲保存会、琉球舞踊協会などの一行が民謡、舞踊などの琉球芸能を披露。クリチーバの人たちは民謡や、「島歌」「花」など沖縄の歌を披露した。
 「かじゃで風節」からはじまる祝いの曲と舞踊。少年の舞姿や、老夫婦に扮して踊る長寿の舞。あでやかな原色の衣装に会場から嘆声があがっていた。
 同市ではじめてとなる琉球芸能祭に、会場は終日にぎわいを見せた。初めて触れる三線(沖縄三味線)の音色に耳を傾ける人あり、手拍子をする人あり。なつかしそうに民謡の曲を口ずさむ老婦人の姿もあった。
 この日は、与儀県人会長夫人のマリアさんと、上江州会長夫人のネリさんが会場で四十年ぶりの再会を果たす場面も。北パラナのシア・ノルテ植民地での幼なじみ、高校時代はロンドリーナで寄宿生活をともにした二人、卒業後連絡が途絶えていたが、支部設立の話が出た際にお互いのことが分かったという。
 舞台上で記念の品を交換。二人は涙を浮かべながら、「変わってないね」と再会を喜んでいた。
 会場には戦後の頼母子会が始まったときから会員だった山城善正さん(77、二世)の姿もあった。
 サンパウロ州イターポリスで生まれ、戦後四六年にクリチーバへ移った山城さん。六十年の月日を経て迎えた支部設立の日に「何とも言えないくらいうれしいこと」と感慨を語っていた。
 スタートしたばかりの同支部。上江州会長の前の代表で、六〇年代に同市で日系として初の市議になった松田信照さん(77、二世)は「世代とともに混血も進んでいくだろうが、日本的なものを何か残していけたら」と期待を寄せる。
 「みなうれしがっています。良かった」と語る上江州会長。「若い人も入ってきています。県人に限らず、広く沖縄の歴史や文化を伝えていきたい」と力を込めた。
 午後三時にはじまった同フェスティバル。五時間にわたる琉球芸能の一日は、琉球国祭り太鼓の演奏でフィナーレ。カチャーシがはじまると会場全体が踊りの輪で包まれた。