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18時間の歌謡祭=全カラとトップスター同日開催=日本から作曲家ら26人迎えて

2006年6月7日(水)

 第六回全カラ祭り・第三回ブラジルトップスター歌謡祭(全カラ・ブラジル本部、グループ・フレンズ共催、TV BANDEIRANTE、AJK、ABRAC、UPK後援)が、四日、文協ビル大講堂で行われた。午前八時から始まった大会は、途中ショーをはさみながら休むことなく続けられ、翌五日午前二時、表彰式を終えて幕を閉じた。
 二大会は、従来別々の日程で行われていたが、今年は日本から全国カラオケ指導協会理事長の松山翔一さん、作曲家山中博さん、千葉毅さんを含む、同協会会員二十六人が来伯したため、同日開催された。
 三日の予選を通過した全カラ十六カテゴリ―の代表と、コロニアの著名な歌手を集めたトップスター七カテゴリーの出場者は、カラオケとバンドの生演奏に合わせて、交互に歌声を競った。
 四日午後〇時すぎに開会式が行われ、網野弥太郎大会会長が「日本語の理解能力が低いという指摘がある中、歌謡曲を通じて日本語を覚え、日本文化の維持、継続に貢献している」とカラオケの意義を力説。続いて、山尾俊雄大会会長、島田正市名誉会長、松山協会理事長、関根隆範文協副会長ら十一人が挨拶した。
 その後ブラジル紋章協会から、松山さんはドン・ペドロ一世章、山中さんはグラン・クルス章、千葉さんはコメンダ・クルス章をそれぞれ受章した。
 昼頃には会場が満席になり、立ち見する人が見られた。共催者によれば、千五百から二千人の来客があったという。
 山中総合審査委員長は「みんなが和気藹々としていて、日本で大会をしているみたいだ」と笑いながら、「ブラジル勢はレベルが高いよ」と評価した。
 午後九時終了予定だったが、時間はずれ込み、五日〇時が過ぎても審査は続いた。それでも、会場には二百人近い観客が残り、出場者の熱唱に耳を傾けた。
 全カラグランプリで二位になり、日本の大会への出場切符を手にしたノートン・ミヤザキさんは「誰もが目指していた切符をもらった。夢のようだ。なんとか優勝を目指して頑張りたい」と抱負を語った。
 唯一非日系で出場し、全カラグランプリで三位になったロベルト・カザノーバさんは「競争するために歌うのではなく、皆を楽しませるようにしたかった」と満足げ。
 ただ、島田名誉会長は「一緒にやるというアイデアは悪くないが、時間がかかる点は考える必要がある」と厳しい表情を浮かべた。
 バンドのリーダーとトップスター歌謡祭の実行委員長を兼ねている蛯原忠男さんも「同日開催は役員の負担が大きい」と、笑顔ながらも実状を述べる。「来年の同時開催についてはこれから話し合う」という。
 日本からの一行二十六人は二日に来伯。リオやイグアスーの滝を観光して、八日に帰国する。
 大会で日本行きを決めたのはさきのノートンさんと以下の四人(敬称略)。トップ・スター歌謡祭からパウル・シカマ、チエコ・サクマ、キヨミ・カナシロ、ノブヒロ・ヒラタ。