2006年6月15日(木)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十四日】九日に開幕したサッカーのワールドカップで、待ちに待ったブラジル代表の初戦が十三日に行われたことで、全国民がテレビに釘づけとなった。
ほとんどが帰宅したり、仲間と一緒にテレビ観戦をした中、サンパウロ市ではアニャンガバウー広場の特設大型テレビの前に約四万人、ジョッキー競馬場に七〇〇〇人が集まって声援を送った。
リオデジャネイロ市北部の広場では一万人、サルバドール市では二〇〇〇人が、終始ハラハラどうしの試合の流れながらも勝利に歓声が湧き上がり、定番のサンバのリズムで美酒に酔った。
サンパウロ市では従業員にテレビ観戦をさせるために会社や商店、公官庁など午後一番に休業となり、市中に帰宅を急ぐ人々が溢れた。このため市内は予想以上のラッシュに見舞われ、市民らがメトロやバスに我先にと乗り込んだため、大混乱となった。
メトロの駅やバス停では乗客同士が押し合いへし合いとなり怒号が乱れ飛び、試合観戦の興奮とは違う、殺気立った雰囲気となった。メトロは午後二時から四時にかけて増便し、一〇三本運行としたにもかかわらず、ホームは立錐の余地もない有様だった。
市当局はバス路線会社に全車両の運行を指示したにもかかわわらず、バス運転手がテレビ観戦を理由に就業を拒否した。そのためバスが逆に不足して市民の足を奪い、午後四時の試合開始前に目的地に着けない人が多数出た。サンパウロ市内の渋滞は午後三時過ぎに一七四キロに達した。
とくにパウリスタ大通りは身動きが取れない状態となり、イライラが増して随所で口論が見られた。タクシーやマイカーを乗り捨てて、徒歩で目的地に向う人で歩道は溢れた。それでも間に合わず近くのバールなどに飛び込んで前半を観戦する人が多く見られた。
主要道路は、試合終了の午後六時には通常九五キロの渋滞に見舞われるが、この日はゼロで死の町の様相を見せた。
国内はサッカー一色となり、日頃の紛争も押しやられた。ブラジリア近郊での農地占拠運動(MST)のキャンプでもテレビが持ち込まれて観戦となった。電気は不法に電線を引込んだものだが、この日に限って当局のおとがめはなかった。
一方、アングラ・ドス・レイス市のインジオ居住地が電化されたことで、ワールドカップ始まって以来、初めてインジオの集団が自宅でテレビ観戦できる運びとなった。
ルーラ大統領は連立を望むブラジル民主運動党(PMDB)幹部を官邸に招いて観戦、九〇分間の試合を「心臓に悪かった」としながらも、サッカーは勝つことが大事だと語った。
いっぽうアウキミン候補はサンパウロ市内のシュラスカリアで、市民とセーラサンパウロ州知事候補と共に観戦、相手を良く知ることが肝要だと述べた。両者とも選挙と重ね合わせた発言と取られている。