ホーム | 日系社会ニュース | 移り来て98年目の移民記念日=サンパウロ市=各地で先駆者慰霊行事=苦労を偲び感謝捧げる=サンゴンサーロ教会=一粒の麦から百万の実が=若々しい祈りを捧げる

移り来て98年目の移民記念日=サンパウロ市=各地で先駆者慰霊行事=苦労を偲び感謝捧げる=サンゴンサーロ教会=一粒の麦から百万の実が=若々しい祈りを捧げる

2006年6月20日(火)

 六月十八日、ブラジル日系社会は九十八回目の「移民の日」を迎えた。一九〇八年の笠戸丸サントス入港から九十八年。週末にかけて、今年も各地で慰霊法要が営まれた。サンパウロでは十八日にサン・ゴンサーロ教会で記念ミサ、十九日にはイビラプエラ公園の開拓先没者慰霊碑前、文協大講堂で追悼法要をそれぞれ実施。訪れた人たちは、現在の日系社会の礎となった先人の困苦を偲び、その功績を称えるとともに、二年後にせまったブラジル日本移民百周年に向け思いを新たにした。
 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」(福音書)。十八日午前十一時からサンパウロ市セントロのサンゴンサーロ教会で行われた日本移民九十八周年慰霊ミサには、日曜日のせいもあって中に入りきれないほどの参加者が集まった。要所要所で日系の若者たちがギターの伴奏で日本語の賛美歌を歌うなか、先駆者に顕彰が捧げられた。
 司祭を務めたコレジオ・フランシスコ・ザビエル教会(イピランガ区)の土居理一神父(宮崎県出身)をはじめ、久次マリオ神父、エジミウソン神父、フェルナンド・マヌエル・エルセ神父ら四人が日伯旗とバチカン旗を先頭に厳かに入場した。
 W杯の日本対クロアチア戦と同時刻ながら上原幸啓文協会長、酒井清一援協会長、松尾治県連会長、丸橋次郎在聖総領事館首席領事、野末雅彦JICAサンパウロ支所次長ら、来賓も勢ぞろい。約百五十人が教会を埋めた。
 土居神父は「先駆移民は子弟教育の力を注ぎ、そのいしずえとなった。ブラジルの歴史に貢献した。いくら感謝を捧げても足りない」と語りかけ、続いてエジミウソン神父は「ブラジルの大地にまかれた一粒の種は、百万を超え、あちこちで実を結んでいる」と締めくくった。
 日本移民の貢献の顕彰するために、白い聖衣をまとった日系子女三人がそれぞれ手に、カフェーの枝、鍬、野菜や花を載せたザルを手に入場し、祭壇前に供えた。
 日系カトリック教徒を増やすことに尽力するために一九二三年に日本からきた最初の布教使、中村ドミンゴス神父を顕彰。さらに、二八年創立と現存する最古の日系校コレジオ・フランシスコ・ザビエルが日系教育のために果たしてきた役割をたたえ、日本移民史との深い絆を振り返った。
 さらに、生け花、茶器、寿司の入った桶を持った日系子女も入場して供え、移民のたどった苦難の歴史の末に、日本文化が広まったことを示した。賛美歌「主に愛されて」を日本語で合唱し、神父から参列者の一人ずつにパンを手渡す聖体拝領が行われ、一時間半のミサが終了した。
 三年前に武内重雄神父が亡くなり、久次神父らが遺志を引き継いで日系人向けの指導に当たってきたが、非日系の若手、エジミウソン神父が主任司祭として九カ月前に同教会に赴任した。今回のミサでも若手信徒の熱心な祈りとともに、斬新な演出を印象付けた。
 土居神父(宮崎県出身)によれば「セ大教区の方針で、これからはブラジル人のための教会となりました」という。ただし聖母婦人会など日系人との深いつながりは今後とも維持される。