2006年6月28日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十五日】エコノミスト誌は十日、サッカーW杯とオリンピックの二大スポーツイベントの比較を論じた。もしもブラジルでどっちが面白いか投票したら、迷わずサッカーであろう。同誌は各国の国民気質を特集した。
W杯のメイン会場となったベルリンのオリンピック・スタジアムは、一九三六年のベルリン・オリンピックを記念する特別会場である。ヒトラーはベルリン・オリンピックでゲルマン民族の優秀性をアピールした。しかし、W杯は政治色抜きの純粋なスポーツイベントという意味合いがある。
冷戦中は米ソが金メダルの獲得数を宣伝した。次は中国が二〇〇八年、オリンピック会場に招致し、米中の新ラウンドを展開しようとしている。オリンピックはどうしても政府鳴り物入りの政治色が伴う。
サッカーは競い合いであるが、政治や経済が伴わない実力の場といえる。W杯で見るなら、アジア地域の台頭ではなく肺活量豊かなアフリカ地域の台頭が目立つ。またフランスやイタリアは政治に陰りが見える反面、スポーツで弱勢を補っている。
またサッカーの面白さは、政府が力を入れても強いチームを作り出せないことで陸上競技とは異なる。試合運びには高度の技術と瞬間の機転、常に新しいプレイ・スタイルを考え出す創造性が要求される。タレントの発掘や団体行動の特殊性も求められる。番狂わせがひんぱんに起き、チャンスが巡ってくるので、プレイへの情熱と魅力の業の披露が新しいスーパースターを生み出す。
サッカーW杯に政治が後押したのは、一九三〇年のイタリアと一九七六年のアルゼンチンだ。もしも、某国大統領が石油ドルにものをいわせ、世界の有名選手を買い集めて夢のチームを結成したら、はかない夢はかなえる。しかし、金の力で選手を買うことを禁じる規定が生まれる。
オリンピック競技の中に、サッカーを加える話がある。そんなことをすると批判タラタラの米国バスケットボールのようになる。またサポーターの要求で四年待つのは、長過ぎるから二年毎開催という意見もある。首を長くして待つのも、サッカーの面白さといえそうだ。