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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(48)=宇野麻美=ヴィトリア日系協会=「当たり」だった出会い

2006年6月29日(木)

 飛行機が高度を下げはじめると、多くの奇石が姿を現し複雑に入り組んだ海岸線が見えてくる。重苦しい冬の日本からやってきた私は、あふれる陽光をうけて光るヴィトリア湾に目を奪われた。弧を描く海岸線と紺碧の海は今も瞼に焼きついている。
 二〇〇五年一月、この美しいヴィトリアの地に着任。渡伯前から、いろいろな人に「ヴィトリアは当たりですよ」といわれていたが、この地の美しさは想像以上だった。しかしほんとうに「当たり」だったのは、ヴィトリアの日系社会の人々と出会えたことだった。皆さんのやさしさに支えられて、早くも一年半が経とうとしている。
 ヴィトリアの日系社会の輪を見ていると、今の日本では失われてしまった古き良き日本が生きていると感じることがある。地域社会のつながりも希薄になり、個人主義の様相を呈しつつある現代日本で育った私ではあるが、ふと幼い頃の近所の祭りを思い出すような、そんな懐かしさがここにはあるのだ。
 日本語を教え始めて何カ月か経ったとき、日本語の勉強を嫌がる生徒をみて、ふと思ったことがあった。厭々日本語を勉強する必要がどこにあるのだろう、このままブラジル化していくことも自然の流れなのではないかと。
 親に言われるまま十数年日本語学校に通って、結局話せないまま去っていく生徒は何人もいる。その十数年は何なのだろうかと。
 答えは、先日の日系行事にあった。去年、お父さん方が主催していた「母の日」。今年の主催者は子どもたちだった。今回、何度も会議を重ね、自分たちでプログラムを作った。司会から余興まで、一生懸命のもてなしでお母さん方を喜ばせる彼らの姿に、感動をおぼえた。ああ、こうして世代交代はなされてゆくのだと改めて思ったのだ。
 日本語学校は単に日本語を勉強するだけの場所ではない。日系社会という基盤のうえにあり、仲間に出会う場所でもあるのだ。横のつながり、そして様々な行事で出会う周囲の大人との縦のつながりのなかで子どもは礼儀を覚え道徳を身につけるのだろう。地域社会のあり方が、子どもの人間形成に大きく寄与している。
 日本文化を教える、というとすぐに書道や伝統文化などに目がいってしまうが、日系日本語学校で求められているのは日本人としての感覚や道徳のようなものなのではないかと思う。日本人が大切にしてきた文化や風習の素晴らしさを、改めて教えてもらったのは私のほうかもしれない。
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【職種】日本語教師
【出身地】京都府京都市
【年齢】26歳