「NHKが見られるようになって、ああ、私の役割はもう終わったな。これで地方回りしなくてもいいんだな、そう思ったよ」。一座を率いて南米各地を公演して回った、コロニアを代表する役者の一人、丹下セツ子はしみじみそう語ったことがある▼子供を立派な大学にやるために黙々と農作業にいそしみ、気が付いたら何十年も日本の芸能に触れる機会もなく過ごしていた移民たちは、一座の芝居や踊りを笑いと涙で迎えた▼辺境の三十家族しかいない移住地に行ったとき、舞台はミカン箱を何百も積んでビニールシートに荒縄をグルグル巻いて動かなくしたものだった。もちろん照明などなく、トラック五台を並べて明るくした。娯楽といえば、旅回り一座とシネマ屋しかなかった時代だ。「嬉しそうな顔を見たら行かなきゃって思うじゃない」▼今では、どんな地方でもNHK国際放送を見ている家庭がある。祖国の情報に関しては邦字紙すら上回る存在だろう。いろいろな意味で移民社会に影響を与えている。九八年のNHKのど自慢サンパウロ市大会を見て、ブラジル公演をしようと思った日本の演歌系歌手、井上祐見もその一人だ。かつて毎年、日本から公演に来るなど考えられなかった▼日本が国を挙げて開発した最新のデジタルTV方式が当国で採用された。NHKら放送局を管轄する総務省から竹中平蔵大臣が来伯し、本日二十九日、首都で調印式をする▼資源や農産物から最新テクノロジーへ。新しい日伯関係の幕開けだ。かつて地球上で最も遠い国同士だったが確実に近づいている――そう実感する。(深)
06/06/29