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JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(51)=豊倉麗子=アマンバイ日本人会(パラグアイ)=移住の歴史を後世に

2006年7月20日(木)

 「国境」というからにはもう少しものものしくてもよさそうなのに、ここほど親しまれている国境はないだろう。セントロの通りの一つが国境である。行き来にまったく制限はない。通勤や通学、買い物などで人々は日に何度となく国境をまたぐ。
 私の財布には常にグアラニーとレアルが入っていて、初めこそとまどったが、今ではほかの町に行ったときも支払いにレアルを混ぜてしまいそうになる。
 スペイン語とポルトガル語とグアラニー語が使われていて、約三百人の日系人は日本語も話すので四カ国語が混ざった会話になることもある。
 日本語学校はパラグアイにあるが、ブラジルから通ってくる生徒も多い。生徒の多くは日系三世で、彼らの祖父母が五十年前、日本からパラグアイにやってきた一世である。
 今年五月、ここアマンバイ移住地入植五十周年記念祭が行われた。在パラグアイ日本大使や領事、アマンバイ県知事などをお迎えし、五十年という節目にふさわしい盛大な式典が開かれた。
 パラグアイやブラジルのみならず、日本からこの日のために訪れた参加者もいて、数十年ぶりに同船者が顔を合わせるという場面には、移住者の強い絆を感じさせられた。およそ五百人の参加者は、五十年の歩みを振り返り、この地で亡くなった家族や友人を偲び、今後の発展に思いを寄せる貴重な一日となった。
 五十年と言うと一世から二世への世代交代の時期である。自ら夢を求めて海を渡り、日本への望郷の思いを胸に言うに言われぬ苦労を重ねてきた一世は少しずつ減っている。
 私がきてからの一年半でもすでに七名の方が亡くなった。それでもまだまだ元気で活躍されている方も多い。一世から直接、移住当時の話を聞けるということは大変貴重な体験である。
 どの人の人生もそのへんのドラマよりもずっとドラマチックで、語り口調の一つ一つからこれまでの苦労と、それを乗り越えて今の暮らしに至った自信とがにじみでている。ところが一世の孫である私の生徒たちは移住に興味を示さない。 彼らにしてみれば、祖父母の苦労と、自分達がここで生まれ育ったことはすぐにはつながらないのだろう。一世にしても孫たちに移住の話をすることはあまりないようだ。伝えたいが今の子供達に昔の苦労は理解できないという気持ち、そしてそれにもまして少しずつ薄れていく日本語が両者の間の壁になっているのかもしれない。
 五十年という節目の今、生徒たちに少しでも自分のルーツを知ってもらいたいと思う。一世から直接話を聞ける最後の世代の彼らに、日々日本語を教えながらそんなことを考えている。
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【職種】日本語教師
【出身地】神奈川県川崎市【年齢】33歳