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〃ブラジル横綱〃大相撲へ=「関取になったら、母さん呼びたい」=リカルドさん19歳、恵まれた体躯=関係者の期待大きく

2006年7月13日(木)

 「日本で相撲が取れるのもみんなのおかげです。試練に挑戦しがんばってきます」――。大相撲友綱部屋に入門が決まったスガノ・リカルドさん(19)は八日、サンパウロ市サント・アマーロの昭和地区の土俵場で開かれた自身の送別会で、家族、友人、相撲関係者が見守る中、このように決意を語った。「ここでの稽古とは問題にならないくらいの試練が待っている。それを乗り越えてぜひとも成功してもらいたい。これが君の夢でもあり、私たちの願いだ」。顔を真っ赤にしながら、籠原功パウリスタ相撲連盟会長が送別の言葉を贈った。涙ぐむ母、共に汗を流し練習に励んできた友人からの暖かい拍手。そこにはリカルドさんの活躍を期待する多くの人たちであふれていた。
 日系の父とイタリア系の母を持つリカルドさんの体格は恵まれている。身長百九十五センチ、体重百五十キロ。「小さな時から好き嫌いもなく、何でも食べる子だったわ」と、母親のロザーナさんが逞しく成長した息子を見つめながら振り返った。「昔から周りの子に比べて大きかったの」。
 相撲に興味を持ったのは偶然だった。八歳から続けていた柔道をやめて相撲を始めたのは十六歳のとき。父親のイチローさんが自宅近くの今の相撲クラブに連れて行ったのがきっかけだった。
 「下の子二人も一緒について行ったみたいだけど、彼しか相撲を気に入らなかったみたい」。そのときから学校に通いながら、稽古に打ち込んできた。「土、日曜日は一日中土俵場にいる」という。去年高校を卒業し、今年は相撲にする専念する生活をしてきた。
 ブラジル相撲界に彗星のごとく現れたリカルドさんは、相撲を始めてわずか三年で全伯チャンピオンに輝いた。
 練習開始二年目の〇四年に、いきなりブラジル選手権大会準青年の部第二位、翌年は同大会無差別級に出場し、並みいる強豪を破ってみごと優勝、〃ブラジル横綱〃に。同年十月大阪で開催された世界相撲選手権大会では、世界の一級の選手たちに伍して堂々の銅メダルを獲得した。
 「小さい時から相撲を始めた選手たちをすぐに追い越して、世界で通用するレベルになった」。そう語る相撲関係者がリカルドさんにかける期待は大きい。
 「気が利き、周りの人のことを考えることができる子だと思う」。まわし姿からジーパンとシャツに着替えて登場し直したリカルドさんの周りには、自然と友人・知人が集まった。用意されたシュラスコを美味しそうにほお張り、笑顔で話す姿は十九歳の青年そのものだ。土俵の上の表情と百八十度違う。
 日本への出発を一週間後に控えた今の気持ちを聞くと「そうですね。特に不安はありません。むしろ楽しみにしています」と語った。「練習をたくさん積んで関取にあがったら、一番最初に母さんを呼びたい」という。この言葉を嬉しそうに聞きながら、ロザーナさんは「ジョイセも連れていくわ」と返した。
 同じ地区の女子相撲選手のジョイセ・デ・リーマさんはリカルドさんの恋人だ。そっと心境を話してくれた。「寂しくなったりしないわ。日本へ行くのは彼の夢だったから。送る言葉は『ボア・ソルチ』よ」―。
 多くの暖かい声援を受けながら、あす十四日、日本へ旅立つ若きブラジル人力士は、最後にこう語ってくれた。「もちろん夢はヨコヅナです」。