2006年7月14日(金)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】古くは砂糖やピンガ酒、最近はバイオディーゼルのエタノール原料として脚光を浴びている砂糖きびを語る時、二人の日系二世の大きな貢献があったことを忘れてはならない。この二人はシズオ・マツオカさん(61)と、ヒデト・アリゾノさん(54)で、業界では「砂糖きびの父」と呼ばれている。
二人は長い年月をかけて交配による新種開発に成功、現在では全国の砂糖きびの六〇%を占めている。しかしこれにより一銭もフトコロに入っておらず、清貧の鑑みたいな人生を送ってきた。二人は口をそろえて〃大和魂〃で成し遂げたことを誇りとしていると述懐している。
国内では、現在五〇〇万ヘクタールの砂糖きび畑があり、昨年の収入は四〇〇億レアルと巨大産業となった。二人が開発した種類はRB(ブラジル共和国=レプブリカ・ド・ブラジルのイニシアルを取ったもの)で栽培の六〇%を占めている。この種類で一ヘクタール当りの栽培が倍増するとともに、自然破壊が半減した。
残り三九%はSP(サンパウロのイニシアル)種で、コペルスカル産組が開発したもの。産組には国内大手の精製会社が加盟しており、豊富な研究費があるにもかかわらず、RB種に勝る品種の開発ができないでいる。RBは一九八〇年代に世に出たものだが、いまだに高い評価を受けている。
マツオカさんは移民として渡伯してきた夫婦の子供十人の三番目。アリゾノさんは同じく七人兄弟、いずれも家族全員が農業に従事する中で学業にありつけた。農学部を専攻したのは奨学金があったからだ。
マツオカさんは卒業と同時に当時の砂糖アルコール院(IAA)に勤務し、専門のバイオ技術で砂糖きびの交配による品種改良に取り組んだ。アリゾノさんもこれに続き二人三脚の研究が始まった。RBを開発して間もなくIAAは財政難で閉鎖された。二人は開発した苗を精製会社に無料で配布した。
これが好評を博し、RB栽培が広がっていった。一九九五年に新種のロイヤリティ法が施行されたが、すでに三五%の苗が無料で配布された後で二人には一銭も入っていない。二人はサン・カルロス大学に勤務したが、ロイヤリティは大学に寄付している。マツオカさんは、大学の恩義は金に代えられないと語っている。
アリゾノさんは若い時、あまりの貧乏生活から脱けるべく市議選に打って出たことがある。しかし三分間の演説で一言も発することができなかった。結果は得票二六票で惨敗。マツオカさんは一票を投じた。当時は砂糖きび以外の話はしない人だったと奥さんは思い出し笑いをしていた。