「僕は日本語もポルトガル語も中途半端だから・・・」と話すのはサッカーの元ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)でスペイン語とポルトガル語の通訳を八年間していた照屋直彦さん。
大阪生まれの照屋さんは現在三十七歳。五歳の時に親と一緒に移住、ブラジルで育ち高校二年を中退して日本へデカセギに行った。
九七年にベルマーレに入団した当初、照屋さんのチームメイトには先日引退表明をした元日本代表の司令塔中田英寿選手が在籍しており、その他にも元日本代表の呂比須ワグナー、コロンビア人のパラシオス選手らがいた。
かつてのチームメイトである中田の引退について聞いたところ「彼の専属トレーナーと仲が良くてそれなりに聞いてたよ」と笑顔で答え、驚いた表情はない様子。
通訳という仕事は一般的に人の言ったことをそのまま訳して伝えるのだが、彼が言うには「訳す以外にも、彼ら(選手)の日常生活をサポートするのも通訳の立派な仕事の一つ」だと言う。
それだけではなく、外国人選手のビザ手続き等のサポートも通訳の人が間に入る。そんな照屋さんは「僕は日本語の書いたり読んだりが苦手で、ポルトガル語も意外と中途半端なところもあったりして、選手のビザの手続きをする時もごまかしながらやってたこともあった」と笑う。
その他にも、選手を迎えに行ってクラブハウスに連れて行き、試合中は監督のそばに付いて監督が指示を出せばそれを通訳する。試合後のインタビュー等があれば通訳して忙しくなるとか。
現在はサンパウロ市で沖縄県人会の音響関係の仕事を手伝っている照屋さん。最近の日系人の犯罪や当時の日系人の話を聞いたところ「その当時からゴロゴロと犯罪はあったから特には驚かなかった。鶴見にいた時にたくさん話を聞いていた」と話していた。
将来はリベルダージでファミリーカラオケをやってみたいと計画しているそうだ。「まだ、やるかは分からないけど、もしやるって決ったら報告するよ!」と明るく話した。