2006年7月27日付け
〃卵の都〃バストス市で、二十一日から二十三日までの三日間、バストス文化体育協会(大野悟朗会長)と同市役所(ナタリーノ・シャーガス市長)、同市議会共催の「第四十七回卵祭り」が開催された。会場には高知から寄贈された鯉のぼりも揚げられ、日本色あふれる祭りには、約十五万人が来場した。
一九二八年にブラジル拓殖組合が造成したバストス移住地。四八年に入植二十年祭事業の一環として始められた伝統行事卵祭りは、今回で四十七回目を迎えた。以前は入植記念日である六月十八日に行われていたが、同市を離れている学生たちが祭りに合わせて帰省しやすいようにと冬休みに開催するようになり現在に到っている。
二十一日の開会式には、市長を始め、来賓として西林万寿夫サンパウロ総領事や野末雅彦JICAサンパウロ支所次長らが出席した。初めて訪れた西林総領事は「様々な分野で活躍される日本人子孫の方々の発祥地であるバストスには来てみたいと思っていました。出席できたことを嬉しく思います」と挨拶した。
テープカット後には、文協の「バストス婦人会」が、展示会場内で「新アジア音頭」を踊りながら練り歩いた。
大テントでは、昨年に続き同婦人会の盆踊りやカラオケなどが行われたほか、今年は日本文化をより良く知ってもらおうと餅つきも披露された。
会場の沿道には、シュラスコ、ピザ、リンゴあめなどを売る屋台や、民芸品、雑貨を売る店が約七十五軒。遊園地なども設置され、子供連れの非日系家族やカップルの姿も多かった。
同文協日本語学校の店では名物のオムレツが今年も販売され、約五千食強を売り上げた。昨年は約七千食を売りきったが、今年は入場者が少なかったためか、昨年より売れ行きがおちた。
「今年は八千食を目標にしていた」と話す日本語教師の相原貴余志さんは、今年は給料前なので人出が鈍かったことをあげ、「でもボランティアの人たちがよく頑張ってくれてるよ」と笑顔をみせていた。同店の協力者は約七十人にも及んだ。収益は日本語学校の活動費に充てられる。
今年、会場で目立っていたのは六十旒の鯉のぼり。これまでは、五年前に姉妹提携している北海道遠軽町から送られた鯉のぼりを毎年揚げてきたが、年が経つことに古くなったり、貸したものが返却されなかったりと祭りで飾られる数が年々減っていた。
同市で今年四月に開催した「第一回日系フェスチ(主催=バストス市役所、バストス商工会)」でも鯉のぼりを揚げたが、反省会では「数が少なく、日本色が薄かった」という声が上がった。そこで昨年「山中三郎記念バストス地域史料館」に派遣されたJICA青年ボランティアの中村茂生さん(41、高知県)が出身県の交流協会などを通して寄付を呼び掛けた。
合計百十二旒が集まり、卵祭りに間に合うよう航空便で送ってもらった一部(約三十旒)と、以前からの分を合わせ、今年は六十旒もが会場の青い空を泳いだ。
中村さんは「この鯉のぼりが来年、二倍になる姿が見たかった」と寂しげに感想を話す。というのもJICA任期は〇七年の一月まで。「史料館のホームページでこの鯉のぼりの映像を載せたい」と熱心に撮影していた。
今年も展示会場の入り口には、約一万個以上で作られた「卵の門」が設置され、新しい農機具や養鶏業者の展示品のブースが用意された。
大物歌手が登場することでも有名な同祭。最終日には人気アイドルグループのK・L・Bが舞台に立ち、観客からは黄色い歓声が飛んだ。
資産委員の薮田修さんは「今年は昨年よりも来場数が少なかったけれど、養鶏家たちの参加が増えたので祭りとしては成功です」と話していた。